2010年8月
8月6日の大鉄砲水
8月1日に足止めされていたギルギットから軍のレスキュー貨物機でイスラマバードに連れて来られて、ラワルピンディに3泊、イスラマバードに2泊しました。その5日間は空路でチトラールに戻るために、毎朝午前5時台に空港に行き、チェックインした挙句にフライトキャンセルでまた街に戻るという日が続きました。
8月6日、イスラマバード空港ですでに雨だったので、どうせ飛ばないだろうと思いながらチェックイン。それが運良く1時間の遅れで飛行機は離陸。悪天気で空中でとんぼ返りして引き返す可能性があるのでハラハラの中、飛行機は雲の多い中を南西に向けてコハート、ペシャワールの上空とえらく遠回りしてチトラールに到着してくれた。この瞬間はほんとうに嬉しくて心から神に感謝しました。
チトラール地方も各地で洪水、土砂崩れの被害が出ている中で、ルンブール谷は道路が一カ所崩れているだけで、ほとんど大丈夫という話だったので、ほっと安心。余裕の気持ちでこの日の午後遅くルンブールに向かいました。それがそれが!
ちょうどボンボレット谷とルンブール谷の分かれ目である国境警備隊のチェックポストの手前に差し掛かった際に、轟音と共に、大量の丸太や生の木を巻き込んで荒れ狂いながら谷川を下ってくる鉄砲水と遭遇してしまったのです。我々は荷物もそのままに車を降りて、チェックポスト前に走りました。が、そこも安全ではなく、チェックポスト隣の発電所が目の前で流され、ボーダーポリスたちは身の回りの物を抱えて建物から飛び出してきます。ルンブールへ続く道路は土砂で覆われています。道路の真ん中では、パニクっているのか、冷静なのか、ムスリムの警備隊員が大声でアラーに向けてコーランを唱えています。
こんな大規模な鉄砲水だったら、ルンブールでは大被害が出ているだろうし、人も大勢流されてるのではないかという心配と、道に唖然として突っ立っている我々も流されるかも知れないという恐怖で顔が引き攣ってきました。グリスタンは完全にパニックに陥って、「村にもどらなくちゃ」と泣いています。
たまたま居合わせたボンボレットのカラーシャが、「ルンブールに行くのは無理だから、うちにおいで。うちには電話もあるから、ルンブールの状況をきいてみよう」と我々を車で連れていってくれましたが、状況確認するにも、ルンブールには電話線も携帯電話塔もない。ルンブールの警備隊の詰め所の無線も電気がなくて動かないので、確認のしようがありません。
翌朝、再び昨夜のチェックポストまで送ってもらい、泥で浸かったルンブール谷への道路を靴を脱ぎ裸足になって大変な思いをしてどうにか戻りました。しかし、谷の大小の橋という橋はことごとく流され、バラングル村の入り口の頑丈な橋も流されてしまったので村には戻れず、この夜は下流のカラーシャの客室に泊めてもらいました。
鉄砲水が襲った翌々日に川の勢いが少し治まり、バテット村の下流に角材一本の橋が架けられたので(その橋まで行くのに、ぬかるみと岩だらけの河原を横切るのがまた大変だった)、その橋を渡って山の中腹を大きく遠回りをしてようやくバラングル村にたどり着くことができました。
8月6日には雨も降っておらず、まさかこんな前代未聞の大規模な鉄砲水が起こるとは誰も思っていませんでした。谷の主な5つの橋は全部流され、4カ所の発電所のうち小規模な2つは完全に流されるか、泥の下に沈み、私たちの発電所は寸前のところで泥に浸からずに済んだものの、発電用の水路はかなりのダメージを負いました。つい2ヶ月前に設置したばかりの泉から引いた飲料水のパイプも流され、粉引き小屋の水路もごっそり決壊してしまいました。川沿いの多くの畑が流されるか土砂を被ってしまい、収穫を前にした作物の収穫は望めなくなりました。こんな状況の中で、家屋がぎりぎりのところであまり流されず、そして何より人的被害がなかったのが幸いでした。
その後の復旧は?
8月6日の鉄砲水の後は、男たちが率先して臨時の橋を架けたり、水路の修復作業に赴き、なかなか頼もしいものを感じていましたが、8月12日に、前回とは別な支谷から鉄砲水が起きて、仮の橋がまた流されたり、修復中の水路が壊れたりしてからは、志気も失せたようで、みんなで一気にやってしまえばできそうな作業も中途半端で滞っています。 バラングル村入口のジープ橋の修復は、チトラールの役人が来て「ルンブールでの作業を優先して、5、6日で元通りに造り直す」と広言したので、「そりゃ無理だろう」と思いながらも期待して、村人たちは橋に使う角材を寸法通りに切って準備しているのに、あれ以来音沙汰なしです。
チトラールにも政府や軍の救援物資が届いているということですが、軍はたいした被害がないボンボレット谷や、ルンブール谷でも高い尾根にあるカラーシャグロム村に救援物資を支給したり、いつものことながら、必要としている人へ必要な物が届いてないようです。貴重な援助物資をこんな風に無駄にするなら、はじめから援助物資などない方がよっぽどいいと腹が立ちます。
バラングル村と発電所が消滅する?
昨年のことだったか、村の人が「大きい鉄砲水が来れば、このバラングル村は流される恐れがある」と言ったことがありました。私は「そんなことがあるはずないでしょ」と笑って終わらせましたが、今回の鉄砲水の爪痕を見て、「確かにあり得る」と納得しました。村の一番上流にあった一軒の家は流され、そのそばを通っていた粉引き小屋の水路はすべてえぐり取られて、川の水の流れがぐっと村側に来てしまいました。その上に、鉄砲水が運んできた膨大な量の土砂や岩石で、川底は1~2mほど高くなっているので、村と水面の距離は極端に縮まっています。今の状態で今回のような鉄砲水が来れば、村は一環の終わりです。
今考えられる村を守る方法は堤防しかありません。およそ200~300mの村の長さに沿って堤防を造れば村は守れるはずです。しかし堤防建設は水量が少なくなる秋に行わねばならないので、今から準備にかからねばなりません。
同時に、2004年に日本政府の草の根援助で建てた水力発電所と水路に対しても、堤防が絶対に必要です。この発電所は川から比較的遠い場所にありましたが、今回の鉄砲水で発電所の周りの畑や草地はすべて土砂の下になっています。発電所は寸前のところで土砂からまぬがれましたが、前述した通り、川の流れが変わっているし、川底が上がっているので、普通の規模の鉄砲水でも発電所が流される可能性は非常に高いのです。水路の修復は男たちが力を合わせてどうにかできますが、発電所が土砂に浸かると、予算のおよそ8割を当てて注文した発電機やタービンなどの機械が壊れると、もう村人の手に負えません。この発電所を守るためにも堤防が必要です。また水路の取水口にも必要です。
私はすぐに、8月13日に日本大使館に緊急援助の要請のファックスを送りました。大使館の初めの回答は、「援助は無理」だということだったが、後日、洪水の被害に関連した被災地に対しては、草の根援助でも優先的に支援していくことになったという知らせを受けたので、「バラングル村およびその周辺、そして発電所を守る堤防建設プロジェクト」を正式に申請することにしました。
緊急支援金のお願い
しかし、日本大使館の草の根援助プロジェクトが認可されるかはわからないし、認可されるまで時間もかかります。危険な箇所には応急処置をしておかないと、大きな被害になってしまいます。そこで、その作業のために私たちのNGOで海外の友人に声をかけて支援金を集めることにしました。経済状況が落ち込んでいる日本の中でのお願いは、大変心苦しくはありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(注)私たちのNGOの口座(チトラールのカイバル銀行)への海外送金は、
手数料が高いので中止にしました。ご協力してくださる場合は、
申しわけありませんが、まずはメールでご連絡ください。
akkowa25@hotmail.com (わだ)