頭痛の種が次から次へ

2010年9月

 9月初めに日本の有志の方々からの緊急支援金90万強ルピーが届き、さっそくバラングル村の上部と下部の堤防工事が始まりました。といっても、作物の収穫で一年で最も忙しい9月なので、今のところ手が空いている男性が数人ずつ作業しているだけですが、来週から作業人の数は増え、10月はフル回転になる見込みです。

 
右は土砂で地面を流されて宙ぶらりんになった家畜小屋 。中ほどの短い堤防が2年前造られたもの。小さくても功績は大きかった。
右は土砂で地面を流されて宙ぶらりんになった家畜小屋 。中ほどの短い堤防が2年前造られたもの。小さくても功績は大きかった。

 日本大使館の草の根援助の申請を泣く泣く断念したので、この支援金は大変にありがたく価値あるものとなりました。しかしながら、今回の支援金だけでは、バラングル村の堤防と発電所の堤防を建設するには、どう頭をひねってもカバーできないこともわかりました。

 

 浦島花子の私の物価の基準は、だいたい10年前、20年前のものにセットされていて、わざわざ思考回路をリニューアルしないと今日の物価に追従できなくなっている。それゆえ、堤防工事がそんなに費用がかかるものと思っていませんでした。聞けば、2年前に地方政府の援助で造られた、長さ33mの村の上流部の堤防の予算はなんと100万ルピー。(実際の費用は80万ルピーで、差額の20万ルピーは政府の役人に中間マージンで搾取された。)この2年間の物価上昇はうなぎ上り以上ということを考慮すると、今回の支援金では長さ33mの堤防を1カ所造るのがやっとということになります。

 

 それを村人たちを説得し、なるべく人件費を抑えて、上流部に長さ25m、高さ4mの堤防を40万ルピーで、下流部に長さ15m、高さ4mの堤防を15万ルピーで、発電所水路の取水口への堤防を30万ルピーで造り、5万をその他の経費に使うことになりました。残っている村の真ん中の堤防は、チトラール地方の地域援助のために発足した外国資本のNGOに、サイフラーさんが申請することになりました。

 

 後は10月に帰国してから、画像上映会などを開き、幅広い方面の方々にお願いして、来年春に補充するしかないでしょう。今後ともご意見、アドバイス、よいお知恵などどうぞよろしくお願いします。

 

 

発電機も土砂の犠牲に

 当初、「鉄砲水の土砂は発電所の目の前まで迫ったが、発電所は無事」ということで、発電機やタービンはセーフと思っていましたが、土砂に流された水路を村人たちが新たに造り直して、いざ発電機を廻してみると、外から見た目にはわからなかったが、発電機もタービンの溝から土砂が入って被っていたらしく、しばらく作動はしていたものの、完全に壊れてしまいました。チトラールから技師を呼んで見てもらったら、コンピューター制御の性能の良い発電機だっただけに、元通りに直すのは無理ということです。もし直ったとしても、電圧も弱く、長く持つ保障はないというのです。

 

 苦労して立ち上げた「発電プロジェクト」で、「日本政府の援助で造ったルンブールの発電所の電気は、この一帯で一番安定していて良いものだ」とほめられると、造った甲斐があったと秘かに喜び、誇りでもありました。それが5年でだめになろうとは夢にも思いわなかったので、すっかり気落ちしてしまいました。

 

 この壊れた発電機は、チトラールの技師に直せるだけ直してもらって、弱い電気でがまんするしか、今のところ道はないでしょう。もちろん、一番願うのは元と同じ発電機を設置することですが、その費用は発電機だけで50万ルピーなので、設置、運搬、技師の費用など入れると60万ルピーになるだろう(私の計算で)。堤防建設の不足分の費用を集めるだけでも重いものを感じているのに、その上発電機のことまでも面倒みきれないのが事実ですが、うう、何か煮え切らないものを感じます。