2010年10月
姉弟の契りを結んだボンボッレット谷の家族で、三番目の弟シャー・マハマッド・ディン、私がこの家族と暮らしていた頃はまだ小学生だったのに、今や3人の坊やの父親になっている。
今年5月、川に流されて亡くなった二番目の弟ブトーの娘のお葬式で滞在した際に、ママッディンの一番幼い生後10ヶ月の坊やが、生まれつき手足に障害があることがわかり、心を痛めていた。手の方は物をにぎることもできるのでそう問題ないが、足の方は両足の裏が内側に曲がっていて、歩く時期になっても歩けないだろうと思われる。
ママッディンは坊やをチトラールの医者に診せたが、ペシャワールで手術を受けさせる以外直らない、その手術代は6万ルピーほどかかると言われたという。以前のようにブトーのゲストハウスがバッグパッカーで満員の時だったら、ブトーがどうにか賄えただろうけど、去年からカラーシャ谷は旅行者が行きたくても行けない状況なのだから、ブトーの商売もあがったりで、干上がっている。お金ができてからなどと言っていたら、坊やは大きくなってしまう。骨の柔らかい歩く前の時期が手術には適していると思うので、夏が過ぎた秋にぜひとも坊やをペシャワールに連れていかなければならない。
そういう時に(お葬式の後に)、カラーシャ谷を訪れるのが3度目で、私のブログも詳しく見てくださっているバッグパッカーのNさんが、「どうぞ役立たせてください」と封筒を下さった。中を開けてびっくり。ちょっと分厚かったので、百ルピー札で500ルピーぐらいかと思ったら、なんと5千ルピー冊が6枚、3万ルピーも入っているではないか。それで、彼に坊やの手術のことを話したら、彼もブトーのゲストハウスに滞在したこともあるし、縁がないわけではないからと、快く手術代にまわすことを承諾してもらえた。
ペシャワールの治安が良ければ私も坊やに同行しようと思っていたが、どうもペシャワールはここんとこ外国人には少しリスクがありそうだし、ブトーは何度もペシャワールに行っているし、親戚もいるんだから、彼らだけで大丈夫ということで、私の同行は止めた。
それで9月末にブトーを呼んで、Nさんの支援金から2万ルピー、静江さんと私がそれぞれ5千ルピーをカンパして、手術代の半額になる3万ルピーを手渡した。(残り半分は自力で算段してもらう。)Nさんの残りの1万ルピーはルンブールの医療援助のためにとっておくことにした。
10月6日、帰国の途でチトラールの町にいた時にママッディンが坊やと奥さんを連れて来ていた。医者に最終診断をしてもらい、ペシャワールの医者への紹介状を書いてもらったという。紹介してもらったペシャワールの外科医はチトラール出身なので、チトラール語で話せるので助かった。彼らは今日にもペシャワールに出るという。手術の成功を祈るばかりだ。坊やの人生はこれから長いんだから。