2011年5月
ながーい間、ブログ更新をしなくて申しわけありませんでした。
3月11日からの地震・津波・原発事故災害で、感じること、考えることがあまりにも多くて、
一種の失語症のようになり、簡単に言葉を発することができなくなっていました。
半年間の九州佐賀の親元での滞在、その間、父を介護し(たいしたことはしてませんが)、看取り、家族・親戚が集まって葬式を行い、その後に続く法事、弟の引越しなど、日常生活にない様々な経験をしました。
父が逝ってしまったことはもちろん哀しく寂しいことではありますが、親が亡くなることは誰もに起こることですし、自宅で家族に手を取られながら老衰で旅立った父は、良い別れをしたと思います。3月11日の震災や原発事故を父が見なかったのも良かったと思います。
残された母も少しずつ元気を取り戻してきたし、ルンブールのことも気になるので、パキスタンに戻るために、先日東京に出てきてましたが、佐賀を離れて実家のことを思う時、今でも父が居間の自分の場所に存在感を漂わせながら座っているような気がして、とても父が逝ってしまったとは信じられないのですが。
イスラマバード行きの航空券を買ってから、「アメリカ軍がオサマ・ビンラディンを殺害した」ニュースが入り、嫌な感じになっていますが、今のところイスラマバードが混乱している様子はないので、予定通りに出発することにしました。