2011年6月
キラン図書室の責任者として、子供たちに読めない字を教えたり、読みきかせや紙芝居をしてくれるだけでなく、大人の学習会を開くときは中心となって動いてくれているヤシールの本職は、バラングル村の端っこに建つカラーシャ小学校のアシスタント教員だ。
もう10年以上も前のことになるが、その頃新しく建ったばかりの小学校には、幼年級から5年生まで当時75人ぐらいいた全生徒を、たった一人の教員が教えていた。それを見たデンマークの小さなNGOの代表者が、「教員1人では6学年の各クラスをとてもじゃないけどカバーできない。せめてアシスタント教員をおこうではないか」と支援を申し出た。そのアシスタント教員に白羽の矢が当たったのが、当時カレッジを中退して、サイフラー・ゲストハウスの手伝いをする以外は何もしてなかったヤシールだ。月給は3000ルピー。正規の教員はその倍以上の額をもらっていた。
アシスタントと言っても、働く内容はもう一人の正規の教員と違うわけではない。正規の教員と同じように、あっちのクラス、こっちのクラスと忙しく教えるだけでなく、正規の教員が自分の用事でよく休むのに比べ、真面目なヤシールは学校が家から近いのもあって、早朝の生徒の出欠簿も受け持ち、熱があっても休まず出勤していた。
その後、正規の教員が3人に増えたが、生徒も倍に増えたので、ヤシールはそのままアシスタント教員を続ける。他の教員の給料は毎年上がっていくが、ヤシールのはずっと3000ルピーのままだった。そして、何年前か正確に記憶がないが、デンマークのNGOが終了してしまい、ヤシールの月給はストップしてしまった。それでも子供たちに教えることが好きなヤシールは教員として学校に通っていた。
それを知ったビルギッタ(彼女もデンマーク人。ほぼ毎年、夏休みに1ヶ月間バラングル村に滞在していた)が、個人的にヤシールの給料を援助することにした。しかし、ビルギッタも数年前にカレッジ教師を退職し、経済的に余裕がなくなってきて、昨年夏からヤシールの給料が滞っていると私が知ったのは、この5月に村に帰ってきてからだ。
ヤシールは当たり前のように、毎日学校に行き、子供たちに教えていたので、まさか無給でやっているとは思いもよらなかったのだ。「正規の教員が3人いるから、もう止めたら?」と言っても、「彼らはアユーンやボンボレットから通ってくるので、よく休むんで、教員は今でも足りないんだ」と言う。
そこで、私たちの活動費からヤシールの月給を捻出できないか考慮し、会計の静江さんにも電話で相談した結果、今年の5月から5000ルピーの月給を払うことにした。これは図書室の世話代も含めたものだ。正規の教員の給料が1万5千ルピーになっている今、5000ルピーは安い額ではあるけれど、ボランティア・ベースの私たちの活動費から捻出するにはこの額以上は無理だ。
「AKIKOの家」のキラン図書室の本やDVD用テレビ、クラフトルームのミシンなどの備品などはもう揃っているし、建物の内装や外回りの修理もほぼ終り、活動費をハードからソフトの方向に使っていく時期になってきたと思う。