2011年6月
ダジャリの足の怪我の見舞いに、カラーシャグロム村から叔母さんがやってきた。「息子嫁には赤ん坊がいて、家の雑用まで手がまわらいので、すぐ家に戻らないといけない」と、叔母さんは1泊しただけでカラーシャグロムに帰るという。
カラーシャの習慣で、実家に行く時や、実家から嫁ぎ先に戻るときには大きいクルミパン(あるいは油で揚げたパン、ポラタ)を焼いて手土産にするのだが、叔母さんは実家に来るときはポラタを持ってきて、帰るときはダジャリの奥さんたちがクルミパンをたくさん焼いたので、その荷物持ちでザルマスが伯母さんに付き添うことになった。それで長年カラーシャグロムに行ってない私も同行することにした。
昨年夏の鉄砲水で流されたままになっているバテット橋の少し上流に、間に合わせで架けられた小さな橋とその向こうの角材1本置いただけの危なっかしい橋をザルマスに手を取ってもらって渡り、バテット村に到着。バテット村からカラシャグロム村に登る手前の畑わきの道から、すでにコンクリートが敷かれていて、登るに従ってそれはコンクリートの階段となっている。
以前あった道はけっこうな急勾配で、登りは息を切らしながらもどうにか辿り着けても、下りの、すべり易い地面を勢いがついた自分の足をコントロールしながら、捕まるところもなく降りるのがどうも苦手で、この道の悪さも私が長年カラーシャグロムに行かなかった理由の一つである。
それが今、村まで見上げるばかりの階段が続いているのである。何だか日本の山の上にあるお寺の階段を思い出す。ある一部だけが階段の高さが高すぎてきつかったが、後は楽勝だった。でもおかしいことに、叔母さんは階段の横の土の上を登っている。「こんな階段なんて、歩幅をあわせなきゃならんし、私たちには必要ないよ。村の年寄りたちは使ってないよ」と言う。
驚いたことに、村までの階段だけでなく、村中の小道がコンクリート化されていた。埃がたたないし、私にとっては楽ではあるが、「うーん、このコンクリート道はほんとうに村人たちに必要なのかいな。バテットの橋や、コンクリートで強化しなければいけない河岸工事など、もっと優先すべき工事があるはずなのに」と思う。
叔母さんの家で、チーズとヨーグルトミルクと小麦パンの昼食をごちそうになった後、ザルマスの妹ライラが嫁いでいる家を訪ねる。ライラはベランダで家族の昼食の準備をしているところで、家の中に椅子があるので家に入るよう言われて中に入ると、あらびっくり!暗い家の中の片隅の人工的な明るさに目をやると、そこにはテレビとDVDプレーヤーが置かれていた。
たまたま早い時間に電気が来ていて、インド映画がかけられていた。ライラの義父と義兄がベッドにもぐって、見るともなく映画をみていた。DVDだけでなくケーブルを設置してあるのでテレビもと入るという。「うちだけでなく、この村でテレビ持ってる家庭はけっこういるよ」と言われて、また驚く。うちのバラングル村は、入口に新たに「有料ビデオ鑑賞店」ができたものの、テレビを所有する個人の家はまだないので、ルンブール谷はまだテレビの時代ではないと思っていたが、やはりの頭で考えるよりも時代の流れの方が速いということだろう。
帰り道に寄ったラクマット・ワリの家で、彼が彫った彪(ひょう)を見せてもらう。「彪そっくりの木彫りがある」ときいて、そこに置いてあるとわかっていて部屋に入ったのに、思わず「キャアー!」と叫んでしまったくらい、その木彫りは存在感があった。 ラクマット・ワリは生まれつきの小児麻痺で、足が未発達で手を使って歩行しているが、その彼の手の技術は突出している。家具や木彫りの像など芸術的な作品をコツコツと作っている。この彪はチトラールに人からの注文品で、たった一枚の写真を見ながら、20日間で作ったという。この後色を着けるということで、どういうふうになるのか楽しみだが、そばに置いてあった野生のマルコールの木彫りや、犬の顔の彫刻と模様が施された椅子もなかなか素敵だった。
カラーシャグロム村を降りて、谷の小さなバザールで、カラシャグロム村のダウードに会ったので、「あなたの村に行ってきたけど、ずいぶん進歩してて驚いた」と言うと、「何が進歩だよ。村には飲料水がないんだよ。灌漑用水路の汚い水を飲んでいて、子供たちは下痢状態だ。まず飲み水があっての生活なのに」とダウード。彼は一世代前にイスラマバードのカレッジで教育を受けているが、まじめな性格で、数少ない信用できる人間の一人だ。 「でも、村の人たちは飲み水は湧き水を汲んでくると言ってたよ」と私が言うと、「湧き水のところまで遠いからめったに行かない。バーバの手前、恥ずかしいから湧き水を飲んでいると言ったんだよ」とのこと。
前々から感じていたことだが、こういう文明に穢されてなかったところでは(カラーシャ谷だけに限らないが)文明の利器や悪器などがちぐはぐに入ってきてしまう。利器、悪器に影響されて振り回され、しまいに自分たちのアイデンティティーも失ってしまったということにならないようにと、ハラハラしてしまう。でも、原発事故でひっちゃかめっちゃかになっている日本から来た私が、大きい顔して何も言えないけどね。(終)