チトラールから陸路で

2011年10月

 前のブログの続きです。

 翌日9月13日のフライトもキャンセルになり、空模様も雲がかかってきて怪しくなってきた。いったん天気がくずれると数日間は回復しない。

 ちょうど、カラーシャ谷に調査を終えて、イギリスへの帰路に着いている同宿のアイルランド人アレックスが、イスラマバード発の国際便に乗らねばならないので、車をチャーターして陸路でイスラマバードに向かうと言う。

 

 アレックスは5年前の交通事故で頭を強く打ち、視力のほとんどをなくしているが、オックスフォード大学院民族学の学位をとるために、3年前にもルンブールに下調べに来ている。今回もロンドンから北京に飛び、中国からタジキスタンの知り合いの大学教授のもとに行き、その後にパキスタンに来ていて、盲目なのに全行程一人旅という突出した行動力の持ち主である。

 

 3年前に宿泊したバラングル村のサイフラー・ゲストハウスが気に入ったので、今回もそこに3週間の滞在予定でやって来たのだが、チトラール警察からの許可が得られず、やむなくチトラールやアユーンの町から毎日ジープをチャーターしてルンブール、ボンボレット、ビリールのカラーシャ谷に日通いしていたのだ。

 

 しかしいくら精神力が強くても、目が見えない西洋人が一人でラワリ峠を越えて、テロが頻発しているディールやマラカンド地方を通るのは無謀ではないか。それだったら私も同行しようか。私はチトラールからの陸路は数え切れないほど通ってきた。途中に知り合いもいるし、車のチャーター代も割り勘できて彼も助かるだろう。(私は飛行機代がローカル料金なので、割り勘しても陸路の方が少し高くなるが)前の晩に彼から、チトラールで一番高いホテルでの夕食を招待されたこともあるし、などなどが瞬間的に頭の中を駆け巡り、30秒後には「私も一緒に陸路で行くよ」とアレックスに言っていた。

 

 ホテルの人が中古軽自動車タクシーを呼んでくれ、少し高めだったがティマルガラまで7000ルピーで折り合いをつけて、いざ出発。と、アレックスのチトラール滞在中にセキュリティのために付いていた若い警官3人も狭い軽自家用車タクシーに乗り込もうとする。せっかく高いお金でチャーターしたのに、テマルガラまで詰め込み状態なんて冗談じゃない。「3人でエスコートするんだったら、あなたたちの警察の車できてよ」と言って3人には降りてもらう。

 

 まず警察署に行き、「陸路でチトラールを出る」という報告をして、PIAのオフィスに航空券の払い戻しをしてもらいに行く。そうしたら、いつも窓口にいる係員が、「まだ朝の9時過ぎだから、お金がないんだ。12時頃おいで」と言うではないか。「今日のうちにイスラマバードに着きたいので、今出発するから、12時まで待てない。」とこちらが言うと、「じゃあ、イスラマバードのPIAでやってもらえばいい。」と言う。

 

 「でも、もし国際線の乗り継ぎでPIAのオフィスに行く時間がなかったらどうするんだ。フライトがキャンセルになったら当然払い戻しする人がいるだろう。どうしてお金を用意しておかないのか理解できない。」とアレックスが理路整然と静かに抗議すると、「いやあ、ごもっともな話だが、ないものはない。自分にはどうにもできない。」とお手上げの顔をする。ここで何を言っても始まらないので、面倒だがイスラマバードで払い戻しをしてもらうしかない。

 

 われわれのタクシーの助手席は空いていたので、警官が一人ぐらい乗ってくるかと思ったが、警官は同行しないまま、チトラールの町を出た。チトラールから30分南下するアユーンを通りすぎると、次の町ドローシ以外は道路の右手はチトラール河岸、左側は山で、ほとんど無人地帯だ。タリバンでなくても、盗賊がいつひょっこり出てきてもおかしくない。「こういう所ほど、セキュリティの警官が付いていてもいいのに、必要なところにはおらず、不必要なところには付いてきて、いったい警察は何を考えているんだろうね」と視力のないアレックスと、人口股関節なので、走ることができない私は笑う。

  

ラワリ・トンネル。ディール側。Google画像より。
ラワリ・トンネル。ディール側。Google画像より。

 つい最近8月27日に、アフガニスタンから越境してきた(スワットやバジョウルの)パキスタン・タリバンから襲撃されてチトラール兵、国境警備隊、警官など40人近くの死者を出したチェック・ポストを通る。

 

 少し前に、トラック70台分の武装したパキスタン軍隊がラワリ峠を越えて、チトラール県の国境を守るために入ったという話をきいていたが、このチェック・ポストを通り過ぎただけでは、そういった重々しい雰囲気は感じられなかった。

 

 ラワリ峠の麓に来ると、運転手が「もうすぐトンネルだけど、時間短縮のためにトンネルを通ろう。あんた、番兵にうまく交渉してよ」と言う。チトラール県とディール県を結ぶこのトンネルは、韓国の会社が受けて数年前から工事が始まり、貫通はしたもののまだ未完成で、工事も滞ったままになってる。

 

 「えー、私なるべくなら通りたくないんだけど」と言ったのに、運転手はそれを無視して、気がついたらわれわれのタクシーはトンネルの入口にいた。雨も降り出し、峠を登っても景色も見えないし、だいたいアレックスは景色を見ることができない。トンネルは9キロ弱で、車で18分と聞いていたので、「ま、1回ぐらいは体験しとこうか」と通ることにする。

 

 入口の番兵はチトラール兵士のようで、こちらが「ケチャー アスス」とチトラール語であいさつすると、ニコニコ顔で寄ってくる。運転手が「このおばさんは長い間ボンボレットに住んでいるチトラールの住民で・・(ルンブールはあまり知られておらず、いつもボンボレットと勘違いされる)」と私を紹介し始めると、一人の兵士が「知ってる、知ってる。俺、行ったことある」と、とってもフレンドリーだ。本来なら、トンネルの通行許可証が必要だが、片言のチトラール語でとぼけて、通してもらうことになった。

 

 トンネルの中は真っ暗で、けっこう大きい。表面から水がぽとぽと落ちていて、道の左右にはずーと水が溜っている。その上の両側の壁からは、工事途中のワイヤーが数メートルおきにぐにゃりと出ている。ぼろタクシーのライトが映し出す穴蔵は不気味で、インディージョーンズの世界のようだ。そのうち、後から1台のパジェロがやって来て、われわれのタクシーを追い越していった。パジェロのライトが前に見えるだけでも、安心感が違うのだが、パジェロはどんどん先を行き、視界からはずれてしまった。

 

 18分と聞いていたのに、18分経ってもトンネルの出口は見えて来ない上に、前方に全面池のようになった水溜りが見えてきた。「こりゃ、だめだ。引き返す他ない」と思ったが、ぼろタクシーは深さ40センチほどある水の中を突き進むではないか。一面池と化した中で、さらに深くなったところにはまり込むと確実にぼろタクシーはえんこする。そうなると、アレックスと私はどうなるんだ。運転手は今一頼りになる感じではないし、二人とも大きい荷物も持っている。ドキドキ、ハラハラの中を4、5分。水たまりを脱出した時は力が抜けたようだった。前方を見ると、パジェロが故障して止まっている。結局、全行程35分かかったが、うちのぼろタクシーが無事だったのをあらためて神に感謝した。

 

 トンネルの出口には、入り口の兵士が連絡したのか、ディール県の警察の車が待っていて、我々のタクシーをエスコートしてくれたので、町のバザールを通る時も、チェック・ポストを通る時もスムーズで助かった。ティマルガラまでの予定でタクシーを頼んだが、知り合いがいるバッケラまで行ってもらい(その分高く払わされたが)、バッケラからはミンゴラ発のデボー・バス(韓国資本のバス会社)に乗ることができ、夜10頃にラワルピンディーのデボー・バスターミナルに、アレックス共々無事に到着した。