チトラールに到着

2012年9月

成田~イスラマバード便の中で

 9月14日(金)の成田午後2時発のはずのパキスタン航空が3時間も遅れて出発。

 

 食事券も出ないし、時間つぶしがしんどかった挙句、ようやく乗れた飛行機の乗務員さんたちは、もともと期待はしてなかったとはいえ、「やっぱりそうだったか!」と納得の、サービスを知らない人たちだった。10時間もの長旅なのに、毛布は半分以上の乗客に行き渡らないようになっていた。

 

 成田から離陸後、私は何度かねばって訴えたので、派手な化粧の女性乗務員さんがどこからか最後の一枚の毛布を探しだしてきてくれた。やれやれ、すっぽりと毛布で半袖姿の身から足先まで覆ってうとうしていたら、北京に着く少し前に、同じ女性乗務員にその毛布を突然無言ではぎ取られてしまった。

 

 他の乗客の毛布も同じように取られていたので、いったん北京で回収して、出発時に新しい毛布を配るのかと思ったのだが、そうではなく、北京を出たら、交代した乗務員がさきほどの毛布をまた配り始めた。「私もちょうだい」と比較的早いときに要求したが、「うん」とうなずいたまま、持ってこない。そこで成田からの時のように「毛布ちょうだい」と何度か要求したが、今回は「もう毛布はない」ときっぱり言われてしまった。

 

 私を嫌ってそう言っているわけでなく、他の乗客にも「ない」と言っているのでほんとうになかったのだろう。夜の中国の上空1万メートルを5時間半、毛布なしで勝手に眠れというこんなパキスタン航空は航空業務を行う資格がないのではないかと思ってしまう。

 

 ついでにもう一つ、トイレに行った帰りに、座って何かを読んでいた白いあごひげの男性乗務員に「水をください」と頼んだら、座ったまま、食べた後の機内食などが入っているるステンレスの棚の方に顔を向けて、目で「あそこにある」と合図をするのだ。

 

 棚には三分の一ほど入った水のペットボトルが置いてあった。「えっ、これ?でもどうやって飲むの?どこにカップはあるの?」と言うと、また顔を上向けて目で「あそこだ」と合図する。パキスタン人がいくら目が大きいからって、たくさんある棚のどこなのかを飛行機にくわしくない私がわかるはずがない。

 

 「どこよ。どこにあるの?」と騒いだら、ようやく彼はゆっくり立ち上がり、上から2番目の棚を開けて紙コップを取り出して水を注いでくれた。その距離、乗務員用の座席からたった2、3歩。私が水を尋ねてから彼は一言も口をきいていない。立ち上がりたくなかったら、口で「すみませんが、上から2番目の棚にコップがありますから、自分でついでくれませんか」と言えばいいではないか。日本では考えられない乗務員の失礼な態度だが、パキスタンの人がやると、真から腹が立つわけではないのがまたおもしろいところでもある

 

イスラマバードの朝
イスラマバードの朝

 チトラール便は欠航続き

 

 こうやってイスラマバード空港に到着したのが夜中の12時。荷物が出てくるのに時間がかかり、宿に着いたのが1時45分、荷物をほどいて、何やらかんやらしていたら寝るのが3時になってしまった。日本時間で朝の7時。要するに徹夜したのと同じである。この日(土)はぼんやりしていて頭も体も働かなかった。翌日(日)はたくさんの電話連絡、買物、ファジアにも会いに行った。夜になって小雨。

 

 17日(月)5時に起床。2日前は3時に寝て、この日は5時起きで、若くない体はびっくりしている模様。天気が悪くて、チトラール行きの便は6時45分発が10時発に遅れ、その後欠航になった。この日イスラマバードも一日中雨。翌日の火曜日は便がなくて、19日(水)に延びてしまった。

 

チトラールの町
チトラールの町

 そして今日、またまた早朝4時45分起床の甲斐あって、飛行機は離陸してくれた。数ヶ月前からイスラマバード~チトラール便は直行ではなく、ペシャワール経由になり、まずは35分間の飛行でペシャワール空港へ。ペシャワールからチトラールまでの途中のラワリ峠に雲がかかっているときや、チトラール空港付近で風が強いときなどは、飛行機がやむなく引き返すことがあるのだが、そうなった場合、ペシャワール空港に戻って、さらにまたイスラマバードまで飛ぶことになるのだろうかと考えたりするうちに無事チトラールに着いた。

 

 チトラールに空路で入るときいつも感じる空気の新鮮さを今回も確認して、顔なじみのドライバーのジープでマウンテン・インにひとまず荷物を下ろす。マネージャーの話では飛行機は9日間飛んでおらず、今日の便は9月に入って3便目だったという。パキスタンはずーと天気が悪くて、8月も1ヶ月間でたった5便しか飛ばなかったというから、1回のキャンセルで今日飛べた私はラッキーな方だったかも知れない。