急激な変わりようにタジタジ。

2012年10月

 10月20日過ぎまでの今回の滞在は「ビデオ日記」の撮影が主な目的なので、ライブラリーやクラフトの活動はいっさいやらず、撮影とそれに関わる撮影の記録(一部翻訳も)、バックアップ、バッテリーの充電などの作業で一日フル回転している。

 

 一昨年の鉄砲水で発電所の発電機が泥水を被って以来、発電機の調子が悪くて電圧が非常に弱いので、これらの作業はみんなが寝ている早朝5時に起きて、多少電圧が上がり安定期の針がセーフティゾーンにぎりぎり達している時間帯に行わなければならない。それが終わると、朝食を取って、撮影に出かける。今は収穫の時期なので撮影する題材には事欠かないものの、村の人たちはみんなバラバラに動いているので、タイミングが合わない。風景シーンは太陽の動きを考えて撮らなければならない。昨年のビデオ撮影は練習の気持で自分の生活と周りのことを気楽に撮っていたのだが、今回はきっちりと注文をもらっているので、それに答えて使えるシーンを撮影しようとつい力んでしまい、思った以上に難しいし疲れる。

 

 

階段に手すりができて踊り場までの登り下りが楽になった。
階段に手すりができて踊り場までの登り下りが楽になった。

 まず、バラングル村の全体を撮影するために、グロム村の踊り場に上った。数年前に踊り場までの急斜面に階段が造られたのが、さらに鉄の手すりがつけられていて、ずいぶん上がるのに楽になった。踊り場の屋根も建替えられて、柱も前の味気ないコンクリートから木彫り模様の太い柱になっていた。

 

 聖域マハンデオまでも階段ができているし、バロエ一族のジェシタック神殿も建替えられていた(これは去年にできていた?)。踊り場の近くには公衆トイレが新しく建てられ(12年前にも別な場所に造られているが)、グロム村の景観がずいぶんすっきりと変わった。その分カラーシャ独特の味わいが薄らいだ感じだが、それは仕方がないことだろう。

 

 グロム村の麓の、ルンブール谷のバザール界隈にあるディスペンサリー(施薬所)も新しく建て直されるために建設中だ。ディスペンサリーとは別に、赤十字の産婦人科プロジェクトが始まっていて、地元の元カラーシャ女性(今はムスリムに改宗)がペシャワールの富豪のスポンサーのお金で建てたものの、その後建物をめぐって裁判沙汰になっていて長い間空っぽだった豪邸が、女医さん二人とスタッフ4人を置く産婦人科院になっていた。これは昨年11月からスタートしたらしいが、これができたことにより、産婦はバシャリ(こもり小屋)でなく、ここで出産できるようになったという。これは大きな変化といえよう。

 

 しかし驚いたのは、バザールの下手はずれにバシャリが建っているのだが、よく見たら、従来のバシャリの横に新しいバシャリが建設中なのだ。その後には数年前にムシャラフ大統領からの莫大な支援金で建て始めたものの、中途半端で未完成のバシャリがそのままになって立っている。支援金をもらった元カラーシャ女性(裁判沙汰の建物の女性)は今はパンジャブ人男性と一緒になってお金を持ってドロンしている。

 

 バシャリは外からの援助のいい金づると見えて、1980年代にユネスコの援助で建替えられ、1990年代にアガカーン辺境開発機構によって、さらに同年代にその隣にヨーロッパの国からの援助でイギリス女性が建て、さきほどのムシャラフ大統領による援助で2004年頃(記憶がさだかでないがこの頃)に建て始められ、今また建てられている。バカの一つ覚えのように、バシャリ建設の援助を申請する方も能がないが、援助をする方も調査にも来ず、ハイハイと援助金を出すから、こんな、三つのバシャリが建つことになるのだ。

 

 もっとも援助を出す機関の役人や関係者がまず多額のコミッションを取るので、なんでもハイヨと出すのも当然なのだろうが。金儲けしか考えない人間にふりまわされるばかりで、肝心のバシャリを使う女性たちの意思や意見はほとんど存在していないのが残念だ。

 

左の建物が今のバシャリの裏側、その隣の窓がある建物が今建設中、右の長い屋根の建物が建設放棄されたバシャリ。
左の建物が今のバシャリの裏側、その隣の窓がある建物が今建設中、右の長い屋根の建物が建設放棄されたバシャリ。

 もっとびっくりしたのは、上流の聖域サジゴールの近くにUSAIDの援助で大きな発電所ができることだ。その予算2130万ルピー(2千万円ぐらい)で、さらに追加予算が下りたと言う。私たちのNGOが日本政府の援助によって履行した発電プロジェクトの予算は340万ルピー(当時のレートで600万円ぐらい)だったから、大きななものになる。

 

 しかし、さっき言った通り、上から下に工事が下りるごとに多額のコミッションを取られ、さらにドローシュ出身の総請負い人に1割取られ、予算額は半分以下に減っているそうだ。今、発電機などの機械を運ぶためのルンブールで見たこともないような大きな橋がサジゴールの近くの川に架けられているが、請負人がケチってその工事費に100万ルピーしか出さないらしい。物価高の今の時世では、鉄筋代とセメント代だけで100万を越える計算になるが、請負人たちは少しでも建設費を安くして自分たちの懐にお金を入れることしか考えていない。

 

 だいたい、私たちのNGOの発電所があるんだから、調子が悪い発電機さえ新しくすれば、前の通り安定した電気が供給できるのだ。発電機は7~80万ルピーで買えるのだから、それで済ませばいいじゃないかと思う。それでも電気の供給量が足りないというなら、下流の別な場所に造ればいいのであって、カラーシャの宗教上、重要なサジゴールの周りを無駄なお金を使って無駄に開発するべきでないと思う。しかし外からどんどん話が進められて、あれよあれよと決まってしまったという。

 

聖域のそばに建設中の、新しくできる発電所の機械類を運ぶための橋
聖域のそばに建設中の、新しくできる発電所の機械類を運ぶための橋
村に建設中の予算200万ルピー集会所
村に建設中の予算200万ルピー集会所

 私の家の近く、道をはさんで川寄りの所には集会所が建設中だ。私のキラン図書室が集会所を兼ねているのに、どうしてわざわざ造る必要があるのか。しかも、この集会所はうちの図書室よりも狭くて窓が一つあるただの四角いコンクリートの部屋なのだ。これで予算が200万ルピーとか。これも請負ったのはボンボレットのカラーシャで、金づるとしてのプロジェクトにまちがいないだろう。

 

 上流の畑に行くときに、川辺に下りるセメントの階段の道ができたのは、急斜面を下りるのが苦手な私としては歓迎している。うちの元スタッフのジャムシェールが現地請負い人でやったらしい。その向こうの対岸に渡る小さな橋も、エリカの父さんが請負って新しく造った。この橋は20万ルピーの予算だったが、現地にきたときは14万になっていたという。

 

 これとは別に、暗殺されたベネズィール元首相を記念して、毎年全国の女性たちに現金が渡されている。今年はルンブール谷で、30万ルピー(29万円ぐらい)もの大金を受け取る女性が3人。1人はうちの村の女性、もう1人は上流に住むムスリム遊牧民女性、もう1人は下流のムスリム女性が選ばれたそうだ。

 

 ムスリム女性たちはすでに大金を手にしたというが、うちの村の女性はIDカードがちゃんとしておらず、受け取れるかどうかよくわからないという。他の女性たちも、3千ルピーもらえる女性、一万ルピーもらえる女性、全くもらえない女性といろいろで、これが、どういうしくみで誰にいくら配られるのか全く不明なのだ。それにしても、1人に30万ルピーは払い過ぎではないか?どうしてみんなに平等に分け与えないのだろう。

 

 こういうわけで、この一年間、ルンブールだけで莫大な支援金が入ってきたことになる。しかし、ジープ道路の橋は壊れる寸前のままだし、女性の髪結い場は危ない岩場で、そこに行くまでもちゃんとした道がない。冬、雪が積もったらもっと危ない。こんな作業はすぐできるはずなのに、いつまで経っても放ったらかしの状態だ。支援金が津波のように押し寄せた挙句、カラーシャの未来はどうなっていくのか、何か危機感を感じてしまう。