チョウモスでは病人していました

2012年12月

 11月27日に佐賀を出て、夜行バスで翌朝東京に着き、その午後、パキスタンへの航空券を受け取り、その後の2日間はテレビ制作会社で翻訳作業。夜は下北沢の友達の店で様々なおしゃべりに時間を忘れ、12月1日(土)は午前中、新宿のヨドバシでハードディスクを買い、午後、丸山さん夫妻のお宅を、会計担当の静江さんと訪ね、出発前の打ち合わせ、今後の「AKIKOの家」の活動についてざっと話し合いをする。

 

 日本はいつ巨大地震がくるやも知れないし、私たちもいい歳越いてきている。前々から知っているカラーシャのお年寄りたちなど、さらにいつ何が起こってどうなるかわからない。だから、来年8期の活動は、カラーシャのお年寄りの言葉をできるだけたくさん集めて記録しデータ化する。カラーシャ語も理解し、本作りも手がけている丸山さんにも協力してもらって、まずは、カラーシャの若い世代も読めるような、カラーシャ語と英語の簡単な本を試験的に作ろうという提案を承認してもらった。

 

 カラーシャ語をアルファベットで書くという作業自体まだきちんと確立されておらず、容易な作業ではないとは覚悟の上だが、過去に出版された数少ない子供向けのカラーシャ語の本や、ボンボレットのギリシャ人ボランティア団体が作ったカラーシャ学校の教科書などを参考にしながら、どうにか形にできればと希望している。

 

 丸山さん宅を後にして、日頃世話になっている友人と送別会をして、気分が盛り上がったところで、帰る途中の中野で別な友人たちのライブに顔を出し、御膳様で東京の弟家族宅に帰宅。

 

 翌日一日でパキスタンへの荷物をまとめ、(といっても荷物の半分以上が亡くなった母の古着。ゴミに出すよりも、村人に着てもらった方が母も喜ぶだろう)12月3日の朝、成田に向かい、サービスが最低で乗りたくないけど、乗らぬわけにはいかないパキスタン航空のおんボロ飛行機に乗って、イスラマバードに現地時間、夜中の12時近く(日本時間では明け方4時近く)に到着した。

 

 その後チトラール行きのフライトが欠航が2日間あり、思いもしてなかったペシャワールに1泊することになるハプニングがあったりして、12月8日に無事にルンブール谷のバラングル村にたどり着いた時の安堵感は何物にも変えられないものだった。

 

浄めの儀礼を受ける女性たち
浄めの儀礼を受ける女性たち

 しかし、それまでの佐賀からの12日間、ずっと移動しながら、酒飲んだり、夜更かししたり、ストレスもあったためだろう。またカラーシャ谷は極端に乾燥している上に埃っぽいからだろう、すぐに喉をやられて、翌々日には熱が38度5分も出て寝込むことになる。

 

 日本の熱冷ましの薬を飲んだので、1日、2日で治るだろうとタカをくくっていたのが、3日経っても熱は38度まですぐ上がるのだ。12日の夜のクタルムー(家畜の繁栄と健康祈る行事)にはたくさん着込んで完全武装をし、マスクをして、シャラービラヤックを作るところを見に行ったりしたが、長居はせずに自分の部屋に戻ってストーブのそばで横になっていた。13日のマンンダイック(ジェシタック神殿に先祖の魂が戻ってくるので、秋の収穫物をもてなす行事)にも参加はしたが、早いところ引き上げてきた。

 

 15日の女性の浄めの儀礼の日にはやっと平熱に戻ったが、扁桃腺はまだ口の半分のところまで腫れていて、完治とは言えず、ワインを飲んでも妙に酔わない。(というかたくさん飲めない)15日の夜ディッチ(超聖なる期間)を迎え、16日、17日とチョウモスが一番盛り上がるときも、自分の部屋でダラダラしていたり、ヤシールの家で横になったりして、何かしらしらけている自分がいた。

 

 「チョウモスなのに、前みたいにワクワクしない」とヤシールの父さんに言ったら「それは、あんたが前みたいに若くなく、歳取ったからだよ」と言い返され、返す言葉が出なかった。確かに「昔のチョウモスは盛り上がった」とか「以前のチョウモスの方がよかった。今はただ酒飲んで騒いでいるだけだ」など言っているのは年配の方たちで、若い人たちの中には「今年は前よりいいチョウモスだった」と言う者もいる。結局、自分の時代が過ぎたということなのだろう。ちょっと寂しいねえ。

 

 それにしても若い娘たちはグパース(正装の頭飾り)を被らなくなった。被っている娘はへんな風に横かぶりしている。チョウモスといったら、大変厳かな気分になっていたのに、あの娘たちの横かぶりクパース姿を見ると、先祖の地からチョウモスのためにやってきたバリマインをバカにしているのではないかと思ってしまう。来年は良い年になるのだろうか?

 

 

歌と踊りに興じる若者たち。ほとんどの娘はグパースを被っていない。
歌と踊りに興じる若者たち。ほとんどの娘はグパースを被っていない。