6年ぶりのルンブール谷の冬も50日経つと、体の方もこちらの寒さに慣れ、また、トイレのすきまに風防止を工夫したり、ストーブに焼べた残り火(炭になっている)を足元に置いたりと、あれこれ生活の中で小さな工夫改善をしているので、12月に帰ってきたとき比べると随分暮らしやすくなりました。まずは何と言っても、水道の水が、勢いはないのですが、止まらずに台所とトイレに来ているのと、電気が割合に調子よく付いてくれてるのが大感謝です。
日本政府の草の根援助で苦労して造り、おかげでこの地域ではベストと言われた、我々のせっかくの発電所の電気も、2010年の鉄砲水で発電機が泥水をかぶり壊れたので、どうなることかと大変心配しましたが、私たちのNGOの副代表の、地元で議長と呼ばれているサイフラーさんの尽力で発電機を修理することでき、またいつ問題が起こるかはわかりませんが、今のところきちんと動いてくれています。
25年前にカラーシャの谷に来た頃はトイレは空の下、灯りは一家に一台ある薄暗い灯油ランプ(ない家もあった)、鉄製ストーブが普及し始める頃で、まだ多くの家庭が囲炉裏だったので、火を焚くと家中が煙だらけになっていた。家屋にも窓はなく、家の中は昼間でも真っ暗だった。当時に比べれば、確かに今は生活環境は良くなっている。
インフラは良くなってはいるものの、暮している人たちの中身はどうだろうかというと、ちょっと首をかしげてしまう。女たちの衣装は派手になり、家族の服も含めて数も増えたが、「清潔な環境で生活する」ことに無関心だから、服はすぐ汚れる。結局洗濯の時間と石けん代が圧倒的に増える。それが生活だと言えばそうなのだが、雪が積もった水路のそばで、ふるえながら洗濯して、挙句に風邪引いて具合悪くしているのを見ると、ちょっと考えてしまう。
一方男たちは、せっせと仕事をしているとか、何かしらの目的に向かって努力をしているような人はなかなかいない。祭りやお祝い事にはすぐ集まって、山羊を犠牲にして肉を食べ、酒を飲み、やがて笛と叩き物を伴奏に踊りの場が始まり、これが朝まで続く。
この50日間、チョウモスの祭りが12月7日に始まって21日に終り、3日後に「豆集め」の行事があり、29日夜から次の次の朝まで、マシャールが嫁さんを連れてきたので、その祝いで谷中から人々が押し掛け、食事、踊りと大騒ぎ。30日夜は徹夜で、伝統行事の「カラスに祈願」があった。大晦日には、このチョウモスで嫁を娶った別の若者のところで、嫁さん家族に山羊肉の饗宴があり、同じく大晦日から元旦にかけて、村のあちこちで若者たちが集まり、酒飲んで、ハルワ(甘いデザート)を作って食べたり、羊をさばいたりして新年を祝って盛り上がっていた。
チョウモスで新年を祝うカラーシャには、西暦の新年を祝う習慣がなかったのだが、外からの影響で最近は祝うようになっている。しかし、ちょっと前に2週間も続くチョウモス祭りを終えたばかりで、前日には朝まで騒いでいて、よくまたその気になるなあと感心するというか呆れるというか。
1月4日はボンボレット谷で葬式があり、うちの村からもたくさんの人が弔いに行き、一晩中死者の周りで踊り、翌日あるいは翌々日に家に戻ったら寝るだけで何もできない。その後3日間私はチトラール行きで村の様子はわからないが、チトラールから戻った翌日、1月12日はチョウモスの最中に結婚したジャマットの甥、ナディラの新妻を実家に送る行事があり、その翌日にはうちの村からボンボレット谷の若者の嫁となった親戚の娘リバースビビを実家に迎える行事。この時も山羊が捌かれ、ジャマットの客室では徹夜で踊りが繰り広げられた。3日後、今度はチョウモスで結婚した別の娘を実家に迎える日であった。翌日18日は「ベラバーシ」で牛が犠牲にされ、肉が各世帯に配られた。その翌日19日は、ジャマットとムクティの屋根で「神への祈願」が行われ、2頭の山羊が捧げられた。そして21日にはマシャールの新妻を実家に送る行事、25日はナディラの嫁さんが付き添いの家族と長持ちや布団と共に、実家から夫の家に戻る日で、この夜も山羊2頭が捌かれた。
新妻が初めて実家に戻る行事は、村上げてのイベントで、夫の家族親戚はみやげに持たせるクルミパンを大量に焼き、他に村中の子供たちに配るビスケットや飴、嫁側の親戚女性へのブレスレットなども持たせる。それと親戚たちが持ち寄ったたくさんのアルミの水瓶や大鍋、古い鉄砲、化繊のガウンなども結婚の贈り物として数えられ記録される。
新妻は新調の衣装一式を身につけ、夫側の親戚女性から贈られた何十輪の首飾りを首にかけて実家に向かう。実家に着いたら、夫側の男性が嫁の家族親戚に祝金を配る。マシャールの嫁さんの時は3万2千ルピーの現金が贈られた。
嫁さん側も大量の小麦パンを焼く。すぐに贈り物を持ってきた夫側の親戚や村の人にチーズとパンの食事が出され、その後に村中の各家庭にチーズとパンと夫側が持ってきたクルミパンが配られる。私も村の一員として数えられ、いつも分け前をいただくのだが、チーズは少しは保存がきくが、大きな客用パン10枚から15枚クルミパン2枚は1人暮しの身には多すぎて持て余して、ワン公か牛の胃袋行きになってしまう。
どっちが良いのだろう?
こうやってみると、現金は持ってない家庭が多いだろうが、(でも最近はカラーシャ家庭でも給料取りが増えて、私の村で56世帯のうち、ざっと数えただけで、月給取りがいる家庭は18軒ある。)カラーシャは貧乏どころかけっこう豊かであることがわかる。秋から冬にかけては、必ず結婚などの行事が多くあり、主催する家の負担は大きいとはいえ、まわり廻って、よその祝いや行事でその分恩恵を受けている。互助会のようなものともいえるだろう。みんなあまり働かなくても、けっして空腹になることはない。
勤勉な国からやってきた私の眼には村の男たちは働かずに遊びほうけているようにどうしても見えてしまうが、私自身はというと、年末から、重くなってにっちもさっちもいかなくなったパソコンの容量を軽くしようと、ファイルの整理のために途方もない時間を費やしている。もしパソコンを持っていなかったら、このような作業は必要なかっただろう。その分、村の男たちのように、食っては寝、遊ぶ、あるいは女たちのように、衣装に派手な模様を縫い入れるのに多くの時間と費用をかけて自己満足することもできたかもしれない。どっちが良いかは何ともいえないのだ。
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