2013年4月
3月に、更新ができなかった分です。
村の中の雪もほとんど解け、あっという間に初春になった感がします。ルンブール谷の冬ってこんなに短かったっけ?
DVD上映会をしようとしたら
2ヶ月半の冬休みが終り、3月から生徒たちは学校に行き始めました。それで、「AKIKOの家」での図書活動はしばらくお休みして、大人のための文化活動に切り替え、私めが制作した村の行事や日本の様子のDVDを上映しようと準備をし、「明日の2時に上映会をやりますよ」と人々に伝えたその晩、発電所の真上の崖が大々的に崩れて、巨大な岩が貯水タンクに落ちてしまった。
まだ崖がずるずると崩れていて危ない状態なので近づいてじっくりとは見れないが、タンクは全壊しているという。もちろん電気は止まり、村の大人たちが楽しみにしていたDVD上映会はいつ実現するか見通しがつかなくなりました。
教員が来ない。
先日、私たちの教育支援活動の一環としてカラーシャ小学校で教鞭を取っているヤシール(注1)に学校の状況をきくと、「教員たちそのものが来ない」らしい。同じ谷のカラーシャ人の教員、E・カーン教員は息子のカレッジ入学手続きのためにチトラールに行ったり来たりで、学校に来てもすぐに帰ってしまうという。
3月はチトラール県の教員の移動の時期だが、新しく赴任してくるはずの教員は顔すら出さない。ということで、今年度もまた、真面目なヤシールが毎朝子供たちの出席簿を取り、授業をするという新学期のスタートになっている。ヤシールがいなかったら、小学校はいったいどうなっていたのだろう。
他の教員は「ヤシールがいるから大丈夫だろう」と返ってヤシールに依存しているのではないかと思ってしまうが、それ以前に、このパキスタンの辺境地域では、教員も役人もNGOオフィサーも、自分の仕事に責任を持つこと自体、存在しないのです。悲しいことに。
(注1)私たちは現在ヤシールに月給5千ルピーを支援していますが、この額はE・カーン教員の5分の一で、同じカラーシャ小学校の用務員でも1万8千ルピーの月給をもらっているということを最近知りました。アップデートの物価についていけない私は、以前(15年前)の用務員の月給が1800ルピーだったことが頭にこびりついていて、まさか15年で10倍も給料が上がっているなんて思いもしませんでした。日本では考えられませんよね。3月20日に村の店の電話がやっと通じて、日本にいる静江さんと連絡が取れ、彼女と相談の末、彼の給料を1万ルピーにすることに決定しました。
パキスタンの教育制度はころころ変わり、昨年から新学期は4月になり、従って教員の移動が3月になったそうですが、それに先立って教員の移動を決めるチトラール地方の教育省のトップが、決定権を盾に賄賂を求めるのは当たり前のこととなっています。
教員たちは皆、自宅から通える近くの学校に勤務したいわけで、そうして欲しかったら、おおよそ1年間で1万5千ルピーの現金をトップに払わねばならない。もし払わないと、遠隔地に赴任させられてしまう。
現に、うちの村出身で改宗してイスラムの高等教育を受けて教員となったK・マットは、昨年、「谷のムスリム学校で仕事をしたかったらお金を払うよう」言われ、「払う」と約束したのに払わなかったら、今年は北部の遠い学校に転勤の辞令が下りている。子供たちの教育に関わる機関のトップたちがこうだから、パキスタンの行く末が良くなるはずがないとつくづく思います。
マシアールがカラーシャ小学校で教えることに
一方、谷の奥のヌーリスタン人の村の小学校で教えていたカラーシャ人教員マシアールも、ルンブールの支谷の、定住遊牧民(イスラム教徒)が多く住むトラックドーに転任の辞が下りていました。
その村には小学校の校舎がなく、モスクが代わりになっていますが、もしカラーシャの教員がモスクの中で教えることになると、確実にイスラム宗教者の間で問題になると指摘して、教育省のトップに掛け合ったら、これは賄賂なしで認めてもらい、マシアールはめでたくカラーシャ小学校で教えることになりました。これは生徒にとってもメリットになると私も村人も喜んでいます。