2013年8月
北東北地方を襲った集中豪雨が多くの被害をもたらしました。被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。この異常気象、地球破壊は日本だけでなく、世界規模で起こっているようです。実は、私が住むルンブール谷も先日8月1日の雨で土石流が発生し、大きな被害を被りました。
このニュースは最初、ペシャワールのNGOで働くパキスタン男性からFacebookを通じて「洪水でルンブール谷のカラーシャ小学校が全壊した」と一報が入りました。でも、うちの村に建つカラーシャ小学校は谷のまん中を流れる川からかなり上に位置している。むしろ下方にあるムスリムの小学校が川にかなり近いので、私は「きっとムスリム小学校の間違いだろう」と思ったのです。(もちろんムスリム小学校が被害にあっても心痛む出来事ではありますが。)
ところが、8月3日にボンボレット谷のカラーシャ男性が発信している「カラーシャ・タイムズ/Kalasha Times」を読んでびっくり!なんとやっぱり、うちの村のカラーシャ小学校が土石流に流されて全壊と書いてあるではないか!しかも、その斜め下にある神殿、ムスリム小学校、そしてサイフラー・ゲストハウスまでも土砂を被り半壊という。
掲載されている写真を見て、「何か見たような景色のようだけど、どこだっけ?」と首をかしげましたが、じーと見てから初めて、「ややっ、これは小学校があった場所ではないか」とわかり、ずーんと重苦しく悲しい気持が湧き上がってきたのです。
http://thekalashatimes.wordpress.com/
3年前にパキスタンを襲った大規模な水害でルンブール谷は、谷川がえぐり取った大きな岩やなぎ倒した樹木を巻き込んで、前代未聞のものすごい勢いで荒れ狂う鉄砲水の被害を受けたばかりでした。その後川底が高くなって次回の鉄砲水に襲われたらバラングル村全部が流されてしまう恐れがあるということで、発電所を守る堤防も合わせて、「ルンブール文化福祉開発組合」と「AKIKOの家」では、日本とフランスの友人たちに呼びかけて5カ所の堤防を造りました。
ですから水害というと、私は川の上流から襲ってくる鉄砲水しか頭にありませんでした。それが今回は川からでなくて、山から災害がやってきたのです。しかも、カラーシャ小学校が建っていた場所は、山がさほど迫っているわけでなく木々の伐採もなかったので、まさか、そこから土石流が流れ出すなど、村人たちも思いもしなかったと思います。
「カラーシャ・タイムズ」によれば、他の地域はそんなにたいした雨ではなかったのに、局地的にすごい雷を伴う集中豪雨だったようです。山からすべり落ちてきた土石流はカラーシャ小学校の建物全部を飲み込み、小学校の前後にあった畑も全部土砂にやられ、その斜め下方にあった神殿(写真2)、ムスリム小学校、ゲストハウスは1〜2メートルもの厚い土砂を被って半壊、その近くの粉引き小屋とゲストハウスのキッチンは全壊。おそらく、私が20年以上前に初めて建てて、数年前に新しく今風に建て替えられた「女性の沐浴場」も泥を被っていると思われます。
バラングル村の、民家が集中して建つ中心部は、岩盤の下にあるので被害はなかったもようです。土石流が起きたのが夜だったので、人的被害がなかったのも幸いだした。ただ、村の上流部、つまり私の家が建っている付近の上の山からも土砂崩れがあり、近所の家や私の建物も土砂を被ったそうです。私のところはトイレとキラン図書室に被害があったということですが、ひどく壊れていないことを願うばかりです。
バラングル村だけではなく、上流や下流の数世帯が家を流されてしまったそうです。道路、橋、水道管、送電線などのインフラもルンブール谷だけでなくチトラール地方一帯、壊滅的な状況の中、8月5日、奥の支谷から山越えしてチトラールの町にたどりついた、私たちのNGOの現地責任者でもありカラーシャのリーダー的存在のサイフラーさんが、「緊急コール」を地方政府に訴え、海外の友人たちには電話で発信しました。
サイフラーさんには佐賀の電話番号しか教えていなかったので、東京にいた私には、カラーシャをこよなく愛するデンマークの友人からEメールでメッセージが入りました。すでに土石流被害については知っていたものの、実際に現地の被害者からのSOSが入ると、心穏やかではいられません。とはいっても、被害が大き過ぎて、何をどう援助すればいいのか途方にくれてしまいます。
まず思うことは、道路が寸断されて、ほとんど孤立状態である村人の食料のことです。粉引き小屋が壊れたり、粉引き小屋への水路が決壊しているので、家に穀物があっても粉にできないと、主食のタシーリが焼けない。米や油は谷の中心部に十軒ほどある店で当初は対応できるかもしれないけれど、現金がないと売ってくれない店も多いし、それぞれの店が小さな規模なので、品物もすぐ底をつくだろう。
そう考えているときに、イギリスの委託基金のサポートでペシャワールでNGOを主宰するイギリス女性が、麓の町からルンブール谷まで、せめてロバだけでも通れるように、道路の脇や山道を直すための援助金を送ったというメールが入りました。なるほどロバだったら、小麦粉などの救援物資を運ぶのには都合がよろしい。しかしその後の連絡によると、ロバ道はできたものの、途中、途中に渡した角材一本の橋をロバが怖がって渡れず、結局、ロバ道は人間が使うことになったという。
土石流被害が出てから10日後、麓の町からルンブール谷までのおよそ半分ほどまでの道路が復旧したので、救援物資を載せたジープが向かっていたところを、新たに発生した土砂崩れに遭い、ジープが呑み込まれ、運転手も亡くなったという知らせが入りました。運転していた方はカラーシャではないのですが、救援物資を運ぶ仕事の最中に命を落としてしまったとは、何とも言えない気持になります。ご冥福を祈ります。
キラン図書室を小学校に
九州に戻ってきてから、バラングル村のヤシールの家に電話を入れてみました。今年4月に私が帰国の途につくときに、チトラールでヤシールの弟が自宅用の電話を買い、新しい電話番号をもらっていたことを思い出して、どうせ通じないだろうと期待しないでダイヤルしてみたら、何と通じたのです。しかし雑音が多くてお互いに何といっているのかわからない。
*ルンブール谷の電話は麓の町アユーンからシグナルを飛ばしてワイヤーレスで受け取るもので、しかも100ルピー分のプリペードカードの番号を打ち込んでチャージするシステムなので、チャージが切れたらおしまいだし、シグナルの調子が悪いと通じない。
その後の電話はうまいぐあいによく聞こえて、ヤシールたちと話をすることができました。今私が思っていることは、「小学校の授業の再開」のことです。あちらでは7月いっぱいが夏休みで、8月1日から新学期が始まっていましたが、1日学校に行った後に小学校が消滅してしまったので、授業はもちろんなされていません。
州政府の小学校だから、いずれ再建してもらえるだろうとは期待しますが、今回の洪水被害はカイバル・パシュトゥン州全体に渡って被害を被っているので、辺境地の少数民族の小学校建設なんてどんどん後回しになる可能性が強いのです。正直、1年ぐらいかかるかもしれません。
それで、取りあえず小学校ができるまで、我々のキラン図書室を教室代わりに使えばどうかと思いつきました。キラン図書室の建設に関わり支援してもらった会計ボランティアの静江さんにも相談して承諾を得ました。
ただ、150人ものカラーシャ小学校の生徒を収容するには図書室は狭すぎるので、道と水路を隔てて建っている「第2神殿」と一緒に使えばどうにか授業ができるのではないかと考えます。この件について、「AKIKOの家」の支援でカラーシャ小学校で教えているヤシールに電話で話しました。粉引き小屋の復旧、畑や道の復旧などの作業で、しばらくは学校どころではないかと思われますが、なるべく早いうちにカラーシャ小学校の授業をスタートさせてほしいものだと願います。