ラホールの紙漉き友だち

2013年10月

 イスラマバードに着いてすぐ、ルンブール谷のヤシールの家に電話を入れたら、うまい具合に一発でつながった。

ルンブール谷のインフラ、まだ直っておらず

 そのときの話で、1)まだジープ道路はうちの村まで通っていない。2)発電所の水路が決壊して電気が来ていない。男たちが水路を直しているので、そのうち電気は来るだろう。3)陸軍と警官はまだ谷に駐留している、ということがわかった。

 

 私の方からはヤシールの声がよく聞こえたが、向こうは私の声がよく聞き取れないというので、また翌日電話し直すからと電話を切り、翌日、その翌日と電話を入れるが、向こうの電話の充電が切れたか、シグナルの具合が悪いのだろう、それからはずっとつながらない。

 

 その後一昨日に、チトラールの町にルンブールの山林の裁判の件で来ているサイフラーさんから電話があって、道路が通じたと教えてくれた。でも電気はまだついていないそう。8月の土石流災害で全壊し閉鎖状態だった小学校の授業は、今月から神殿の中やその周りの青空教室で開かれているそうだ。私のところの図書室を教室として使うよう言っているが、ヤシールは私が帰ってくるまで待っているようだ。まあ、まだそんなに寒くなってないし、雨もたいして降らない季節なので、今は青空教室でもそんなに問題はないだろうけど、でも、早く村に帰らないとなあ。

 

と思いつつ、実は先日の日曜日(20日)からラホールに来ています。

 ICLC(国際識字文化センター)の田島さんを通じて知り合った紙漉き仲間のヌザットさんを7年ぶりに訪ねているのです。以前から知っていたヌザットさんの叔母さんが9月に亡くなられて、日曜日に40日目のお祈り納めの行事が妹さん夫婦のお宅であるというので、それに合わせてやってきたわけだ。

 

 一人暮らしのヌザットさんはご両親が大使館勤めだった関係で、長い間海外で暮していて13年前にラホールに移ってきたという。その年に新聞で田島さんの「紙漉きのワークショップ」を知って参加し、それ以来手漉きの紙を作っている。さとうきびやバナナの茎や葉で作ったパルプの素材に、花びらや葉であしらった手漉きの紙はそれだけでも暖かみがあり素晴らしいのだが、彼女はそれらの紙を使って、ランプシェード、スタンド、壁掛けなど素敵なインテリア作品を作る。

 

 「作った物はちゃんと売れてるの?」と聞くと、世間知らずで、商売が苦手なヌザットさんは「なかなか難しい。親戚や知り合いは注文しても代金を払おうとはしない。」と言う。「そんなんじゃあ、紙作り、止めればいいじゃん」と私が半分冗談で言うと、「でも、ランプシェードの枠を作る職人さんの仕事がなくなり、収入が減るから、気の毒だし..」と言う。「えー、職人さんのために紙作りしてるの?」と私は呆れるのです。

 

 ヌザットさんはパキスタンで最近人気の料理番組「マサラ」を見るようになって、これまでの長い人生でやったことのなかった料理を始め出し、はまってしまった。毎日のほとんどの時間を料理作りに費やしているようだ。一日に、ごはん、カレー料理、揚げ物、ナン、パン、ケーキ、「そんなに作って誰が食べるの?」「今食事したばかりなのに、また作るの?」と私は驚くばかり。

 

 ヌザットは「掃除に来てくれる女性にあげるのよ。作った料理の4分の3を彼女に持っていってもらい、4分の1を私が食べるのよ」と言うのだ。「えー、掃除のおばさんのためにチーズやらクリームやら高い材料を買って料理してるの?」と私はまたまた腑に落ちない顔をするのですが、ヌザットさんは「掃除のおばさんのダンナさんは近所の道ばたで野菜を売っているけど、心臓の病を持っていて、毎日は働けない。彼らには小さい子供もいるし、この物価高でどうやって生活しているのでしょう」と掃除のおばさんに同情し、せっせと貢ぐのです。

 

 ヌザットさんはロンドンとパリでヘアードレッサーの技術を学び、クエートとカラチで人気のヘヤーサロンを経営していたので、その頃の貯金があるのかないのか知らないが、そんなに大金持ちとは思えない。このところの気違い的なパキスタンの物価高には、彼女だって追いつかないだろう。

 

 まあ、何にしても、彼女はヘアーカット、手漉きの紙作り、料理作りと、手を動かす仕事が好きなんですね。それにしても、ヌザットがほんのこの間までまったくチャパティを焼いたことがなかったというのは驚いた。パキスタンの女性は誰でもチャパティだけは焼けるのかと思っていた。