2014年1月
まずは、チョウモスのことについて。
チョウモスの話題
チトラールできいた天気予報が当たり、チョウモスが始まる12月7日から5日間ほど天気が悪くなった。ただし雨模様だが雪にはならず助かった。
初日のサラザーリ(浄めに使うネズの枝を持ってくるという意)では、各家この日のために保存していた10キロほどのチーズを新しく開けて、まず主家の聖域に存在する家庭の守り女神ジェシタックにタシーリと一緒に一かけら捧げてから、結婚したジャミーリ(一族の女性)たちにタシーリとチーズを配る。ドレメッセ一族のダジャーリの家では村の中だけで15人分にもなった。息子のサジャットが配り歩いたが、ジャミーリたちからのお返しにショケック(編み紐)や小遣いをたくさんもらって嬉しそうだった。
夜8時頃になって、下流の村の男たちがバラングル村上方から縦列をなし、両手を前の男の肩にかけて「コンダメシャラー(角なし羊)」を唱えながらやってくる。これを機にベラバシ広場では手拍子に合わせた歌が始まり、歌の輪の中で、踊りたい男女が数人ずつ踊り出す。私も参加している証拠として1回踊る。歌と踊りはけっこう盛り上がり夜中1時まで続いた。
この夜、今回私が村に戻ってから初めての電気がつく。というか夏の鉄砲水・土石流災害後は電気は2日ついただけで、ずっと停電だったという。チトラールで時間をかけて発電機を修理し、ようやく戻って発電所に設置すると、別なところがおかしいことが判明し再びチトラールに持っていくという無駄でばかげたことが、私が戻ってからも4、5回くり返されている。
この分ではもう発電機は直らず、この先ずっと電気は来ないかもしれないと危惧し、キラン図書室の灯りとパソコン作業用にソーラーパネルを注文したばかりだった。電気なしの生活に慣れたとはいえ、やはり電気があると行動力も増すし、何よりいいのはパソコン作業ができ、デジカメやレコーダーの充電ができることだ。懐中電灯の灯りで過ごしてきた村人たちも、チョウモスの初日に電気がきたのでほっとしている。何しろチョウモスでの種々の行事では夕方から夜にかけて、祝いのタシーリやクルミパンを焼くことが多いわけだから。(12月19日に再び発電所の部品が壊れて停電。1月13日現在も停電中。)
「AKIKOの家」の支援活動
チョウモスの祭りでは、チュウインナーリ(神殿に山羊の絵を描く筆にする草の茎を山から持ってくる行事)、クタルムルー(家畜の繁殖を願う行事)、マンダイック(先祖の霊を迎える行事)、シシャウスシェック(女性の浄めの儀式)、ゴシニック(七五三に似た子供の通過儀礼)など多くの行事が、家庭の女神ジェシタクを祀る神殿で行われる。その神殿は夏の土石流で土砂が高さ2メートル近くなだれ込んだ。11月の時点で神殿の中の土砂は除けられていたが、外は土砂と瓦礫で入り口に行くのも難儀する状態だった。
それ故「AKIKOの家」の活動費と日本の友人たちの義援金で、チョウモスが始まる前に、神殿前の部分的な整地をすることにした。この作業は12月初めに終えた。しかし、谷の連中が一同に集まって、歌と踊りを繰り広げるスペースはまだ土砂の山だったが、チョウモスの祭りを遂行することはカラーシャの宗教的に非常に重要であるし、村人各々がそのことを深く受け止めて、チョウモスを行う場所作りをしなければならないと私は思うので、それ以上の援助は差し控えた。
村の男たちはボランティアで整地を行うという約束をしたものの、チョウモスが始まってからもそのままの状態だった。結局その場所よりも村寄りの畑が、そこも多量の土砂を被っていたが、近年とみに人気が上昇しチビから青年までの男たちが熱中するクリケットの競技場に早変わりしていたので(ここはプレイする青年たちによって、おおかたの石がのけられていた)、今年のチャンジャー(大松明の夜)はここで開かれることになったのだ。まったく、遊ぶことや楽しむことについては積極的だが、課された作業についてはすぐに後回しするというカラーシャの典型的なやり口がここでも曝されたわけだ。(神殿前の整地は新しい年に持ち越すことになるだろうと見ていたが、チョウモスが終わってから村の男たちによって行われたのはよかった。)
2週間を通してチョウモスでの主食は小麦のタシーリかクルミパンを焼く。岩盤が多い山にできたルンブールのV字谷での畑は水の便のこともあり、そんなに広くはない。人口も増えているので多くの家では小麦、とうもろこしの主食が自給できずに買って賄っている。それにしてもとうもろこしの収穫を前にして、畑が土石流被害にあった家庭は、借金をしながら、日雇い仕事をしながら飢えをしのいでいるときく。
家屋が土石流の被害にあった家庭には政府からの義援金が出てるが、畑だけの被害だと全く義援金が出てないときいたので、そういった家庭にチョウモス用に小麦を1俵分を援助したいと思っていたところ、ヤシールから「うちのゲストハウスに泊まった外国人が、今回の鉄砲水・土石流被害のことをきいて2万5千ルピーの義援金を送ってくれたけど、どうしたらいいだろう」と相談にきた。
私が小麦の援助の話をすると、彼も小麦が一番助かるだろうと納得。畑の被害を受けた15家族がリストアップされ、ヤシール側から5家族に、私の方から10家族に1家族につき小麦1俵分4千ルピー、プラスアルファで5千ルピーを手渡した。この件については、他人の前で渡すと「自分にはくれなかった」と嫉妬したり陰口を叩いたりするので、なるべくこっそりと世帯主に渡した。(もちろん領収証はとったが。)狭い村社会ではこういったことにも気を使う。
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