ムリャーの父さん逝く

 昨夜の12時近くに電話が鳴りました。「こんな時間になんじゃらほい。きっと、パキスタンから時差(4時間遅い)も考えないでかけてるんだろう」とちょっと気分を害しながら受話器を取りました。それはやはりパキスタンからでした。「ムリャーの父さんが亡くなった」つい先日電話をかけてきたばかりで、時差のことも認識しているはずのサイフラーさんからでした。「今、葬式のためにブルーンに来ている」と言う。

 

 ムリャーの父さんことミールザマース(私にはメザマスと聞こえるが)はボンボレット谷ブルーン村の長老的存在だった。実は私が最初にカラーシャ谷で長期滞在したのがブルーン村のヌーシャヒディンの家でした。後にヌーシャヒディンと私は姉弟の契りをしたのですが、ムリャーの父さんは彼の腹違いの兄弟なのです。よって、私もムリャーの父さんとは兄さん(バーヤ)の関係になるのです。

 ムリャーの父さんは、ボンボレット谷の伝統的な宗教行事や習慣をよく知る人でもありました。私たちがルンブール谷で始めた「コシナワス爺さんの小学生への語りプロジェクト」を見習って、ギリシャ人ボランティアがボンボレット谷の小学校でも「語り授業」が行なわれていたのですが、ムリャーの父さんもそこで語り部を担っていました。

 

 

 昨年5月にはカラーシャで唯一のシャーマン的語り部コシナワス爺さんが他界し、今度はムリャーの父さんが逝ってしまいました。ただ寂しくなっただけでなく、このままカラーシャの伝統行事や習慣の明かりが消えていくのではないかと危惧してしまいます。時代の流れと思うしかないのでしょうか。