3都市を行ったり来たりーラホール

それで翌日にペシャワールから511キロ離れている、インドとの国境近くにあるラホールまで高速バスで向かう。韓国経営のDeawooバスで7時間ほどかかった。

ラホールに行くのは、2003年に出版した写真集「カラーシャ」の3刷りをしたいとの要請が出版社サンゲミールからあったためだ。13年経っているので、カラーシャも変化したところもあるので、8ページの追加を受け入れてもらった。数日かかってその追加ページの写真選びとテキスト作業を済ませた。

 

ラホールでは「手漉き紙作り」の仲間のヌザットさん宅に今回も世話になる。ヌザットさんはパキスタン人だが、ご両親が大使館勤めだったので北京生まれでロンドン育ち、ヘアーデザインをパリで学び、クェートでヘアーサロンを持っていて、そこでインド人男性と知り合い結婚してインドに移り、離婚してパキスタンに戻ってきたので、典型的なパキスタン女性ではない。

 

ヌザットさんは手作業が好きで、16年前にICLC(国際識字文化センター)の田島伸二さんのワークショップで手漉きの紙作りを学び(私も田島さんから手ほどきを受けた)、以来素晴らしい作品を作り上げている。2、3年前、突然料理に目覚め、テレビの料理専用番組をずっとつけっぱなしの状態で、その番組から出版される月間雑誌を見ながら、朝からずっと料理を作っている。おかげで私は写真集の追加ページ作業に集中している間、彼女がせっせと料理を作り、私のお腹は空いている状態がなかった。

 

⚫️スリにあった!

7泊8日のラホール滞在ではほとんどヌザットさんの家に居て、近所のお店まで少し散歩するぐらいだったが、数年前に出来たという「メトロバス」に一度乗って行ってみようと、ラホールの街をほとんど知らないヌザットさんを誘って、サンゲミール社まで行くことにした。ラホールのメトロバスはイスラマバードのそれとと違ってずい分混んでいた。白髪のヌザットさんはすぐに席を譲ってもらったが、公共交通機関で動いたことがあまりない彼女は非常に恐縮して、自分がこの空間では一番年配だということに気づいてないのか乗客が乗り込んでくるたびに立ち上がって席を譲ろうとする。

 

そのうちビニール袋を持った一人の女性が乗ってきて、立ってる私の横に来た。その場はすでに子連れの乗客がいるのに割り込んできたのだ。彼女はヌザットや前から立っていた子供の顔の前でぐちゃぐちゃの布が入ったビニール袋をブラブラさせながら、膝をヌザットの座席に割り込まるなど不信な態度をとったので、ヌザットが「小さな子供が立ってるのよ。息ができなくなるじゃないの。気をつけなさい」と注意。ショルダーを斜め前にして両手をつり革につかまっていた私も、「ほんと、この人態度悪いよね。後ろにまだ空間があるからそっちに行けばいいのに」とヌザットに言った。その後、30代くらいに見えたその女性と目が合ったら妙ににかーっと愛想笑いをしたので嫌な予感がしたが、バスはけっこう揺れていて両手が離せなかったし、バッグは私のお腹のところ、ヌザットの顔の前にあったので、油断したことは確かだ。

 

降りる駅になって両手をつり革から離して扉に向かうときに、一応バッグのチャックを開けて財布を確認すると、「にゃいのだ」。「あの女だ!」とすぐわかり、すでにホームに降りていたヌザットに「バスに戻って戻って。財布を盗まれた」と促し、「泥棒だ」と乗客に知らせ、あの女を探した。ひょっとして降りたのかもと思ったが、女はヌザットの席に知らんふりして座っていた。「私は盗んでない」とビニール袋を開けて見せたが、後ろから乗客の若い女性が「床に落ちていた」と私の財布を渡してくれた。「中身を確認しなさい」と周りの乗客から言われて中身を見たが、2700ルピー(2500円ぐらい)ほどのお金は引き抜かれてなかったようだ。

 

 

警察に届けるほどでもないから、彼女にお仕置きの平手打ちを一発食らわして(たいして痛くない程度)次の駅で電車を降りる。ホームや改札口にいたメトロバスの職員に「コレコレこういうことが起こった」というと、「スリや泥棒は日常茶飯だよ」と相手にしてくれない。「事件がメトロバスで起きたのだから、せめて一駅戻る切符ぐらい免除してよ」と訴えたが、その意味が理解してもらえなかった。結局リキシャ100ルピーでサンゲミール社へ行ったが、まあ、やはりインド国境に近く、人口も800万にと届きそうなラホールはなかなかインド的だなあと、インドには悪いがそう思ってしまった。

 

下の写真はヌザットさんの特集になりました。