ラホールのサンゲミール出版社に写真集の8ページの追加ページのテキストと写真、およびキャプションをレイアウトしたのをメールで送って一仕事終わり、5月3日にイスラマバードのヘルガさんちに戻る。
この写真集”Kalasha”は著作権が私の名前ではあったが、1刷り目も2刷り目も著作料などいただいた記憶はない。今度の3刷りは著作料の代わりに写真集現物を印刷する数に応じていただくことになっている。1000冊刷ると100冊もらえると思うが、それを売るためにはカラーシャのことや、私の活動のことをイスラマバードの人々に知ってもらった方がいいと、ヘルガさんや彼女のお友達がいろいろと心配してくれた。
そのお友達の一人の大学教授のアドバイスで、Lok Virsaに行くことになった。Lock Virsaはパキスタンの民族博物館といったもので、周囲には民芸店が並び、度々各地から集めた民族フェアーの催しが開かれている。女性の館長さんはアメリカ出張中で面会できなかったが、秘書の方と話をして、秋に動画、写真を見せながらの講演をすることがおおよそ決まった。
2度目のイスラマバード滞在5日間の後、再びペシャワールへ。そして昨日ペシャワールからチトラールに飛ぶことができた。4月11日にイスラマバードに到着してから丸々1ヶ月後に、ようやくカラーシャの谷があるチトラール県にたどり着いたぞえ。
チトラールの町も他の大都市と同じく様変わりしていた。以前から建設中だった幅広いバイパス道路がこれまであったバザール通りの後ろにできていた。しかし由緒あるホテル、マウンテン・インの古い方の建物などが先日のチトラール直下型地震で壊れていて、熊本ほどではないようだが、「ああ、ここもか」と天災の脅威を思わざるを得ない。
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田島和子 (水曜日, 13 7月 2016 18:02)
イスラマバード郊外もマルガラ丘のレストランもとても良い所だったのに、様変わりしていまって美しい風景がなくなってしまって、何だかさみしいですね。特に、イスラマバード郊外の変わりようは驚きです(もっとも、私が滞在してたのは16年も前ですからね、、、、)。
カラーシャの祭りは健在で嬉しいです。今年の祭り、盛大だったようで良かったですね。
それにしても、毎年の洪水被害は大変ですね。周りの山に木を植えたりする事が出来れば良いのかもしれないですね。
晶子さん、無事カラーシャに戻れて、お元気でなによりです!ヘルガさんもお元気のようですね。