護衛のポリス

 ルンブール谷に戻ってから2ヶ月になる。(このブログは7月に書いたもの)カラーシャ谷も、それを含むチトラール地方もこれまで通り平穏で、外国人旅行者もポツリポツリではあるが、昨年よりは少し増えてきているように思う。

しかし陸軍や警察は相変わらず谷に駐留していて、半分ローカルの私に対しても(顔はローカルにはなれないからねえ)外国人旅行者と同じ扱いをするのだ。無理やり護衛のカラーシャ警官2人をつけられ、ま、どちらも村の親戚で、一人はワリ・シャー、もう一人は元うちのスタッフ、ジャム・シェールだから、別にいいけど、彼らにとっては私が戻ってくるまでは谷の外の町に派遣されていて家を離れていたので、私の護衛を口実に自分の家に戻ってこれて万々歳なのだ。(7月には護衛ポリスがもう1人増えて、3人になった)

 

  NGOの活動を前面に出すと、「タリバンから狙われる」と軍や警察がいうので、このところはおとなしく家にいることにしている。(もっとも私の活動は外でがんがん動き回るものでもないのですが。)ちょっと上流に親戚を訪ねる時も銃を抱えた護衛の彼らのうち一人を引き連れていかねばならなくて、これまで長い間カラーシャのテリトリーを自由に歩いていたこちらとしては何かしらうっとうしい。

 

 先日も、朝になって突然チトラールにトタン板を買いに行くことになり、ちょうどやってきた乗り合いの車に「ほら乗れ、ほら乗れ」と急かされて乗り、すっかり護衛のことを忘れていた。谷を出る手前でワリ・シャーから電話があって初めて気がついたが、ワリ・シャーはオートバイを繰り出して、私の車に乗り継ぐことができてやれやれ。後でしつこく「護衛しなかったことが見つかると、仕事を失うところだった」とブーたられた。

 

 私の護衛が任務だったら、どうして私が出発する時に気づかないのかと思うのだが、彼は夜明けまでうちの周りを見張っていて寝付いたばかりだったし、町に行く時はこれまで必ず私が声をかけていたので、まさか出かけるとは思わなんだとのこと。まあそうかもしれないが、今や年下の高給取りの警官にこちらが気を使ったり、金を使ったり(交通費、時に食事)しなければならなくなった。

 

 

 (追記)先日もボンボレットの夏の放牧場で、アフガン国境から襲ってきた賊たち(パキスタン・タリバンという噂もあるが)にカラーシャ男性2人が銃殺され、山羊500頭が連れ去られ、その数日後、その放牧場で賊の中の5人が駐留しているパキスタン軍に銃殺されるという、ぶっそうな事件が起こっているので、やはりまあ、護衛ポリス、みんな村の親戚だし、いてくれてもいいかなと思うようになった。