3月13日の早朝、ルンブール谷の我が家を出て、乗り合いジープでチトラールの町で一泊、病院で喉の手術を受けた親戚(ジャマットの従兄妹)を見舞い、銀行の雑務を済ませて、翌朝イスラマバード行きのコーチに乗りました。
家を出る数日前から天気が崩れて雨、特に前の晩は結構な大雨。「こりゃあ、麓の町までの道路の一部は土砂崩れを起こしているだろうから、途中から徒歩になるかもしれない」と、日本に履いて帰る町用の靴をスーツケースにしまい、普段村で履いていた雨・雪用のビニール製の靴に履き替え、気温も下がったので、火の気のないチトラールの宿で風邪をひかないよう冬用のダウンもどきの特大コートを羽織り、ついでに愛用の湯たんぽも持って行こうかと起きる寸前まで悩みまくってよく眠れなかった。
よっぽど私の普段の行いが良かったようで、朝出発する頃に雨は一時的に止んでくれた。道路も、あれほどの雨だったのに昨年行われた道路の補修・補強工事で決壊や土砂崩れをまぬがれ、ところどころに石や岩が散らばってはいたものの車は通れて無事にチトラールへ着いた。チトラールでも再び午後から雨になり翌朝まで続いた。
親戚の付き添いで病院に泊まっていたグリスタンと私の護衛警官のワリシャーに見送られて、9時過ぎにイスラマバード・ラワルピンディ行きのコーチはチトラールを出発。ちょうどペシャワールに上級をめざす公務員試験を受けに行くボンボレット谷のカラーシャ青年マイケル(ドイツ人レーサーからとった名前だそう)と出くわし、彼はペシャワール直行のコーチをわざわざキャンセルして私のコーチに乗ってくれ、ペシャワールの近くの街マルダンまでの10時間は彼とおしゃべりしながら退屈せずに過ごせた。
以前だったら3月はまだラワリ峠は雪に覆われて、とてもじゃないけど陸路は無理だったのが、峠の下に韓国の会社が造ったトンネルができて、冬も下界に行き来できるようになった。7年前に掘削したばかりの真っ暗けで水浸しのトンネルを通る羽目になったことがあって、その時40分かかったのが、今は8分で通れるようになった。私自身はこのトンネル建設に反対していたが(トンネル造る前に、チトラールの人々への教育や医療の充実などやることがあるでしょうにと思っていた)、こういうのって進歩とか便利になったとか言うんだろうね。