予定通り22日に佐賀空港から上海に発った。どういうわけか春秋航空は出発時刻よりも10分ぐらい前に離陸し、上海に1時間半で到着した。九州と中国がいかに近いか実感する。しかし滑走路に着陸してから空港の建物に入るまでに、他の飛行機が離陸するのを待って滑走路を横切ったり、じっと止まったままだったりして30分以上もかかったから、佐賀~上海合計2時間で合ってることになるのだろう。
( これ以降、短くまとめるのが面倒で、ダラダラ長くなったので、暇な時に読んで下さい)
外国人は入国するのに自動の機械で両手全部の指紋を取るようになっていた。3年前に西域のタシュクルガン方面から入国したときはなかったことだ。パスポート審査の時にもう一度指紋を取られた。こんな何度も指紋を取られると、悪いことはしてないのに、あまりいい気持ちはしない。
事前にネットで両替の件で調べたら、銀行よりもATMがいいとあったので、第1ターミナルにある中国銀行のATMまで、第2ターミナルから結構歩いて第1に着いたものの、空港内の地図がなくて、案内カウンターもわかりにくい。ターミナルで働いている航空会社のカウンターのスタッフなど3、4人に訊いたが、知らないか、違うことを言う。だいたい英語が通じないのだ。こんな大きな国際空港でだ。最後に訊いた両替の窓口の姉さんがやっと教えてくれた。
ATMの機械はかろうじて日本語版になるが、中国元で500、1000、2000元しか選べず、2泊しかしない私は1500元あれば十分足りるのに、1500が一度にできず、慌てて1000を2回やってしまった。レートの精算表も出てこないので、1元が何円になるのかもわからないままだ。
空港からは、エアポートバスに乗ってバスから街を見物しながらシティーエアターミナルまで行き、そこからタクシーを拾って宿に行けば安上がりにもなる、と計画してたのに、バスに乗り込む寸前に、タクシーの呼び込み兄さんに捕まってしまった。そこに行くんだったら180で行けるよと簡単に言うので、頭の中のレート計算がその時だけ作動せずに180元を1800円と勘違いしてしまい、気がついたらタクシーに乗っていた。乗ってから少し後悔したが、どうせ元を余分に換金したのだからいいだろうと居直る。
高速道路からの浦東側の景色は近代的から未来都市の間といったところで、正直佐賀から来た私は目を見張った。だがあんな高層マンションには住みたいとは思わない。上海には地震が来ないんだろうか。南浦大橋を渡ると庶民的な都会の風景になってほっとする。今回の宿はシングル部屋でユースホステルの割に値段は高いが、ごちゃついた界隈に近い場所だから面白そうだと選んだ。また、ユースホステルには外国人旅行者も多く泊まるので安心感もあるし、宿のスタッフもある程度英語も通じるだろうと思ってのことだ。
宿は確かにごちゃごちゃ界隈にあった。ホールには泊まり客だろうか地元の若者たちだろうかわからないが、テーブルを囲んで飲み食いしながらゲームをしていた。レセプションには「ウエルカム」も言わない愛想のない男性がいて、予約確認書を渡すと、それを見てすぐに520元払うように言うのだ。ネットで予約したときの約束では、前払いとして100元を払うよう書いてあったのに。それをこっちは主張するが、男は英語ができないので、520と紙に書いたものを振りかざすばかり。「あなた、普通、支払いは宿泊してから宿を出る時に払うんですよ。まだ部屋にも案内しないで、着いたばかりで2泊分払えというのは、ビジネスを知らない人がやることよ」と男性にまくし立てた。たまたまそこにやってきた学生のような若者に英語わかるか聞いたら、イエスと言うんで、通訳してもらおうと同じことを一気に話したら、その学生のような若者もぽかんとしている。「わかった?」と聞くと「英語わからない」と言う。なんと言うことだ。国際都市の上海がこれかいな。
いくら怒っても、ここに泊まるしかないことは薄々わかっているので、1日分だけ払って、明日の分は明日払うことで納得させる。だが、だがなのだ。もっとショックなことが判明した。なんちゅうことだ。Wifiができないのだ。もちろん今のご時世で若者が集まる宿にWifiがないはずはない。この気に食わない宿にもちゃんとあり、パソコンにパスワードを入れたら、つながる表示は出た。だが、メールを開けようとしてもFacebookもYouTubeも、インターネットに接続されない。何度やってもダメだ。愛想の悪い兄さんも同情してくれてる様子だが、ダメなものはだめ。「この宿め、ネットが通じなきゃあ、何のために泊まったのか」とまたもやがっくりくるが、よく考えたら、一応のざっとしたことは佐賀で事前に調べてメモしていたので、ネットで調べることはそんなにはない。地図も持っている。ネットもガイドブックもそんなになかった30年~40年前のバックパッカーだった頃、ちゃんと楽しく旅ができたではないか。むしろネットなんぞない方がいい。部屋にいる間は日記を書くなり、1冊だけ持ってきた本を読むなりすればいいではないか、と思い直した。
夕方、近所のWifiがあるレストランで食事をしたが、やはりWifiにつながっている表示は出るものの、ネットが開かない。こうなれば、自分のMacに問題があるとしか考えられない。どうもMacにロックかなんかかかっているのだろう。色々設定をやってみるがどうしてもダメだ。「一番の腹立ちの原因はまたしてもお前だったのか。Macよ!」それにしてもこの件については、宿屋が悪いのではなくてこちらの問題だった。宿屋の兄さんにこの件に対して怒り過ぎた態度をとらなくてよかった。
私の宿は豫園の南側、歩いて15分ぐらいのところだが、豫園みたいに観光化されておらず、周囲の高層ビル街とも無縁の、庶民の生活が噴き出している界隈だ。日本の戦後の昭和の頃のようだ。通りに人々が多いこと、一人一人の声が大きいのでカオスの度合いは昭和より優ってる感があるが、やはり中国も経済成長したからだろう、人々はこざっぱりしていて貧しさの匂いはない。面白いのは、みなさん小さい家に住んでいて、通りや路上が生活空間の一部になっていることだ。夕方になると、どこの家からもお年寄りが通りに座り、近所の人とおしゃべりしたり、ただじっと道ゆく人を眺めていたりしている。多くの家庭の台所が道に面した小さな空間にあるか、あるいは堂々と外の軒下にあることも多い。この界隈の食堂も小規模なので、食堂かと思っていると、家族が道に出したテーブルに数種のおかずを広げてぱくついていたりする。
洗濯物も道端に旗のように干す。2階3階にひらひらしているのはまだいいが、店先に、目先に惜しげもなくパンツとブラジャーを干してあったりする。色気のあるものではないので、おばさんの物だろうけど、人通りがあんなに多いところに下着を干す度胸は日本人にはないだろうね。
1日目、2日目共に15000歩以上歩いたので、日頃の運動不足の身にはぐったり。しかし上海下町の人間中心の生活空間をかい間見て、十分に楽しませてもらった。