3月病

 「3月はどうも気分が落ち込む」と亡くなった母が言っていた。年度末で学校、職場で別れの場面が多いことと、すぐ下の弟が幼児の頃にトラックがバックする際に頭を打って亡くなった事故も3月末のことだったからではないかと思う。

 このルンブール谷では年度末の別れは、上の学校に進む学生が家を離れていくことはあろうが、子供のいない私はあまり関係ない。だいたいこちらは子だくさんなので、一人や二人子が家を離れてもどうってことはないと思われる。だが、そういう私も3月病にかかってしまった。

 

 標高2000mのルンブール谷では3月の初旬でも雪が降ったりしていたが、確実に空気は春の息吹を感じられ、薪ストーブにくべる薪も前の月より4分の一に減らした。(3月から学校が始まり、うちの図書室がいったん終了したので、子供達が一本ずつ持ってきていた薪のストックがなくなったという理由もあるが)

 

 V字谷のバラングル村は、冬の間は8時半ごろ山の向こうから日が差してき、12時半には向かいの絶壁に姿を消していたのが、急に日が長くなり、3時ぐらいまで村に日が照るようになった。よく考えれば、3月21日は春分の日で、昼と夜が同じになるんだから当然ではないか。え~、もうお彼岸?ちょっと早いんじゃないかい?

 

 日が長くなる3月は、雪かきして屋根から落とされたゴミと泥まみれの根雪が解けてくるんで、家の周辺の大掃除、畑での石拾い、5月の春祭りに向けての衣装作り等々、外での活動開始の時期である。クラフト製作や紙漉きも始めたい。

 

 と思ってはいるが、どうしたことかちっともやる気が起きない。中旬に前々から寝たっきりになっていたオンジェシタックおじさんが亡くなり、葬式の数日間は日常の仕事はしないしきたりがさらに追い打ちをかけ、いつか紙梳きに使おうと置いてあったどうでも良い本を読みながら(というか目の上下運動のようなもの)、昼寝ばかりしていた。

 

 そして極め付けのメールが入った。高校時代クラスもクラブも一緒で、このバラングル村にも遊びに来たことのある旧友が、アフリカ旅行で急逝したという知らせだった。歯がガクガク、膝の力が抜け、頭が真っ白になった。仲間内では一番活発で元気だったのにと、今でもピンとこない。

 

 遅かれ早かれ人はいずれこの世から去るんだから、何やかややっても結局何になる、という厭世観、倦怠感がさらに増していく。かろうじてスマホで見ることのできるFacebookの情報もこれまたうんざりするものばかり。おまけに愛犬タローが丸々4日間一口も食べ物を口にせず、腹の骨が見えるほど痩せてしまったので、その心配も重なる。

 

 このまま一昨年の夏のように鬱病っぽくなってしまうかと心配したが、今日はまあまあ忙しく過ごした。自分で織った模様織りとビーズでスマホケースを試作したのにタグを付けたり、久しぶりに村に来た八百屋(車)から買った菜を調理したり、洗濯したりするうちに夕方になった。こうやってブログの更新もしようという気にもなった。やれやれ。

 

 とこちとらは少しやる気になったのに、Wifiデバイス君は相変わらずスローで、私のホームページの管理メニューが開いてくれない。仕方がない明日にするか。

(3月26日)

 

 結局、翌日も翌々日も管理メニューが開かず、3日後の夜10時過ぎに開いてくれた。ブログアップするだけなのにえらく疲れるのう。(3月29日)