思えば、去年も今の時期(10月3日)に日本からルンブール谷の我が家に戻ってきた。その時は、私が所有するクルミの木はすでにジャマットが収穫して、そのほとんどが売り払われていた。
幸い今年私が10月4日に戻った時は、まだ収穫されておらず、村に着いて3日後にジャマットのクルミの木と一緒に私のも収穫。図書室の屋根上に干し広げてある。ジャマットにせがまれ半分弱は彼の手で売られることになるだろうが、半分を私がキープできただけよしとせねばならない。
私の木は若いので、収穫は少ないが、ジャマットと村内別居していて私は1人だからクルミもそんなには使わない。イスラマバードやラホール、あるいは日本の友人たちへの手土産に持っていくと言ってもたかが知れてる。歳を重ねてからは「足るを知る」を実践するように心がけている。
クルミを収穫する際は、クルミ落としに長けた男性が木に登り、長い竿で枝についてる緑の実を叩き落とす。下で女性や子供達が実を拾い集めて、緑の外皮がついていたら取り除く。この時、外皮のアクで手が黒茶色になる。(このアクを煮詰めて煤を混ぜて、私は手漉きの紙に描く顔料にしたりする。)だから、9月から10月のクルミの収穫の間は、村の女性と子供の手はみんな真っ黒けだ。
クルミの実は数日間屋根上で干して倉庫部屋で保存される。余剰のものは行商人が持ってくる台所用品などと物々交換される。収穫を手伝う際にはお駄賃として数十個のクルミをもらうのだが、子供らはそれを持って店に行き、スナック菓子などと物々交換する。収穫の多い家は麻袋数十キロ単位で、店に持っていき売る。それまで店でツケで買った分をクルミで払うことも多い。
カラーシャにとって、クルミは単にそのまま食べるだけでなく、数々の宗教儀式に使われたり、石ですり潰して料理の味付けに使ったりするので、クルミなしではカラーシャの生活自体が成り立たないほど重要なものだ。クルミを始め、桑、アンズ、りんご、などのここの果樹は、ほとんど何もしないで放ったらかしなのに、毎年たくさんの収穫をもたらせてくれる(ダメなときもあるが)。あらためて自然の恵みに感謝する気持ちになる。
しそ、トマト、豆
20年近くになるのだろうか、当時私は日本から持ってきた何種類もの野菜の種をとうもろこし畑の一角に植えた。ほとんどの種はこちらの日陰の多い石だらけの乾燥した土に合わず、ことごとく失敗の連続だったが、一つ家の壁際に蒔いたシソだけは相性が合ったようで、しっかり根付き、毎年勝手に芽が出てシソのジャングルとなる。
シソの実は時期が過ぎて乾からびているのもあるが、選り分けて緑の葉と一緒にサラダに混ぜたり、パキスタン製醤油と地元のワインに黒砂糖を入れて佃煮っぽく煮て瓶に入れて保存食にする。たくさん作りたいけど、瓶がないのが問題。実を取るのに時間がかかるのも問題。
トマト
カラーシャの畑で採れるトマトは店の長いトマトと違って、丸くて汁が多くて私は好きだ。女性たちはこのトマトを手で真ん中から割り、汁を捨てて(もったいない)日干しにしてカリカリになったのを石で擦り叩いて粉末にして、冬場の調理に使う。トマトの味と甘みが凝縮していて、ソテーやシチューだけでなく炒め物にも使うと味が深くなり、大変重宝する。
豆
赤い豆(ダウ)は畑にトウモロコシと一緒に撒かれて、トウモロコシの茎をつっかい棒にして育つ。パキスタンの低地ではルビアと呼ばれて、珍しいものではないが、カラーシャの豆は味が良いらしく、周辺のイスラム教徒たちから、「くれ、くれ(ただで)」とせがまれている。
写真1:トウモロコシの茎になる豆。(見えにくいかな)
写真2:カラーシャのトマト。
写真3:収穫作物を屋根上で日に干して夕方取り込む。右下はドライトマト、その上はそれを砕いて粉にしたもの。その上は赤豆(ダウ)。左はもちろんクルミ。