3月中旬から4月はじめまでの近況ーその2 /March ~ April 8, 2020-No.2

 昨日アップしていた3月から4月初めまでのブログ、やはりネット環境の問題で途中でエラーとなりました。その続きです。

 

アチャンビーの通過儀礼 / Passage ritual of Achanbi

 

 3月24日の夜、谷のこもり小屋(バシャリ)で、ジャマットの甥の赤ん坊が生まれた。翌日、甥の家には村中、谷中から人々がお祝いを言いに来る。その一人一人にチーズと平たいパンをもてなす。やって来たすべての子供たちには一人2枚の平パンにチーズを挟んで渡す。甥の家だけでなく、周囲の親戚の家でも朝からもてなしのパンを焼くのに大わらわだ。

 

 赤ん坊が生まれて6日目の3月30日に、お披露目の儀「アチャンビー」がバシャリで行われた。主な参加者は村の娘たち。甥の家では参加する娘たちにバシャリの前で配るパンが焼かれ、家族の者が山からたくさんの松のつけ木を持ってくる。

 

  パンとチーズとつけ木の準備ができたらたくさんの娘たちと大人数名はバシャリに向かう。まずバシャリと道路を挟んだ小高い場所で参加者はパンとチーズを食べる。そしてバシャリの入り口で、一人の娘が火のついたつけ木を持ち、一人がボンジの枝を、一人が水を満たした器を持血、儀礼を行う川で手を洗ったばかりの娘と一緒にバシャリの入り口に立つ。沐浴した母親と赤ん坊が現れると、器の水を手のひらにすくい、もう一方の手で火のついたボンジの枝を持ち、その煙でまず執行する娘が自分の頭上を浄め、それから母子の頭上を浄める。母親はこの時、女の子だから将来針仕事が上手になるよう長い針を手に持つ。

 

 そしてこの時、参加者に名前を決めてもらう。私が参加するときは大抵私に命名するよう言われ、半分以上は断っているが、この赤ん坊はちょうど私の亡父と同じ誕生日だったので、父の名スエオをもらってスエミビビと命名した。

 

 

 パンとチーズを食べた場所に戻って、持ってきたつけ木に火を付け、2、3人で火を集めて消えないようにしながら神殿まで持っていき、神殿前におく。その火の上を女の子らは飛び越え(男の子も飛び越えていたが)、早いものが神殿の中に入って扉を閉め、後から来たものがそれを開ける合戦ゲームをする。

 

 

コロナ阻止を神に祈願 / Ritual for preventing from Coronavirus

 

  4月1日、村の自治長が夢を見たというので3度目のコロナウイルスを阻止する祈願が行われた。前回2度行われたのはサジゴールとヤギ小屋で男たちだけで行われたが、今回は村(65世帯)挙げて、12頭の山羊の血が家庭の女神ジェシタックに捧げられ、その肉は女たちも食することができた。

 

 ロックダウンになってから、携帯をかける時は必ずウルドゥー語の「コロナウイルスへの警告&手を石鹸で20秒間洗いましょう」のメッセージが自動的に出るし、周囲のテレビがある家やFacebookからの情報などで以前よりはコロナの認識も高まったようではあるが、カラーシャ谷ではこまめに石鹸で手を洗う、接触しない、距離を置く、など具体的に行うべきことは守られているとは言えない。

 

 

 3月21日から2週間の予定だった学校、オフィス、食堂、ホテル、交通機関の閉鎖が、さらに2週間延長されて町にも行けないが、別に町に行く用事はスムーズに繋がるインタネットでブログを送信するくらいなので、とりあえずは家にこもって、先日ひな子さんがカラチからイスラマバード持って来てくれた、あまり興味のなかったはずの韓流時代劇ドラマを観たりしている。いったん観始めると、やめられなくなって、「武神」56話をあっという間に観てしまった。およそ56時間観たことになる。事実に基づいたドラマのようだから、歴史の勉強には多少なったかも。

 

***この画像を入れたいのですが、どうしてもエラーになるので、とりあえず今回はこれまでにします。