マララビビのダック・ボーニャック(胴体を紐で巻く儀礼)/ Weaning ceremony

9月24日、生後51日のマララビビはダック・ボーニャックを受けた。

新月になったので、近い親戚の年配女性を招いて、赤ん坊に腰布、お包みを着せ、その上から手織の紐で胴体をぐるぐる巻いてもらう。そしてヨーグルトと平たい小麦パンをほんのちょっぴり赤ん坊の口に入れ、日本でいう「食い初め」を行った。

 

 

初めてミルク以外の物を口に入れられて、マララビビは何とも言えないしかめ面を見せた。日本では生後100日目ぐらいに行うようだが、こちらではその半分の早さである。離乳食も早い母親は乳児が3ヶ月も経たないうちに始めている。「生後まもない赤ん坊は内臓もまだしっかりしてないので、負担をかけてはいけない。日本では生後5ヶ月になって離乳食を始めるんだよ」と私はそれとはなしに話すけど、「だって、母乳の出が悪くて、赤ん坊が腹一杯にならないからどうしようもないもん」と反撃される。「せめて4、5ヶ月になるまで黒砂糖汁ぐらいにしたらいいよ」と私は言う。でもま、こちらではこれでやってきたんだから、日本のやり方を押し付けることはできない。

 

ダック・ボーニャックが終わったら、母親は出産後初めて、部屋の奥の聖域付近までいけるようになる。それまで聖域のある壁の下の棚に並べてある器や台所用品を取ることもできず、必要な際は人を呼んで取ってもらわねばならず、何かと不便だった。家々の屋根上も歩くことができるようになり、牛小屋に行くのもわざわざ道路を通って遠回りしなくて済むようになったと、マララビビのお母さんはホッとした様子だ。

 

ただし、全面的に産後の不浄が解除されるのは母子が「グルパリックの儀礼」を受けてからで、8月に出産した場合は12月のチョウモス祭の前日になる。この儀礼を受けたら、上流の畑にも行けるようになるが、あいにくチョウモスが始まると、2月の「橋渡りの儀礼」まで女性たちは一部を除き上流の地は立ち入り禁止になってしまう。どっちにしろ冬の上流の地は雪が深くて、女性は用事がないので問題はないが。しかしこの女性に掛かる不浄はどう考えても納得いかない。上流だけでなく私が住んでる村の中では女性は顔や髪を洗えない、祭礼で犠牲にされた動物の肉は口にできない、カラーシャ地域でできた美味しい蜂蜜は口にできないなどのタブーは必要ない。理に叶ってない。アムネスティからクレームが来てもおかしくないぐらいだ。今はカラーシャ娘たちも大学に行く世だから、近い将来、こういった腑に落ちない伝統習慣が改善されて行くことを望む。

 

 

ちなみにボーニャックはボーニック(結ぶ)からきた”赤ん坊をお包みで結える紐”のことだが、カラーシャや周辺のムスリム、アフガニスタンの遊牧民は赤ん坊にオムツは使わず、お包みに紐でグルグル巻きにして育てる。手足を縛られた赤ん坊はまるでコケシの人形のよう。こうすると赤ん坊がおとなしくなり眠るとか、手で顔を引っ掻いたりしないのでよろしいらしい。赤ん坊側からすると、手足の自由を奪われて冗談じゃないだろうが。

 

股に布を当てるオムツとオムツカバーをしないので、赤ん坊がオシッコをする度に肌に当たっているお包みだけでなく、その上に巻いた厚手のお包みも濡れ、さらに赤ん坊を抱いている母親の服も濡れてしまう。その度にオシッコで濡れたのを洗うのは大変だから、そのまま柱と柱に結わいた紐に干して乾かす。水ならともかく赤ん坊のものといえどもオシッコだから乾かしても臭い。不衛生でもある。

 

30数年前に初めてカラーシャの谷に来たときから、オシメとオシメカバーを使わないのが気になっていて、ボンボレット谷の兄弟家族と暮らしていた頃に何度かペシャワールで買ったオシメカバーをあげたことがあるが、何が面倒なのか、いつもきちんと使われずにベッドの下に靴やゴミと一緒に放ったらかしにされていたので、こちらもうんざり諦めた経緯がある。そのうち兄弟家族の子供らが大人になったら、布オシメとビニールオシメカバーを通り越して、パンパーズが登場。いつも使うことはないが、遠出する時には使い捨てのパンパーズが確かに楽ではある。うちの村では使う親は教員と警官の共稼ぎ夫婦ぐらいだが、ボンボレット谷ではけっこう使っているようで、店でも売っている。やはり近年になっての経済的な余裕が出て来てのことだろう。