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12月7日のサラザーリで始まったルンブール谷のチョウモスは、12月21日のシシ・クール・ジュンキック(犠牲にした山羊の頭と足を焼いて煮る)行事で幕を閉じました。
今年は例年よりも寒さが早く訪れ、祭りのピーク、ディッチ(超聖なる期間)の初日に浄めの儀礼を受けるために髪を洗い結い、沐浴するのに多少の勇気がいりました。もっとも半分カラーシャ、半分外国人の身分の私は、自宅のバスルームでやれるので、川原で髪結いをして、水道が壊れている共同沐浴場(30年前に私が建てた小屋を、2部屋付きのバスルームに建替えられた)でヤカンの湯で沐浴するカラーシャの女性たちよりはよっぽど楽チンではあるが。
元来、上流の聖地サジゴールに一番近く、人口も多いバラングル村の広場が歌踊りを繰り広げる祭りの中心地だったが、このところの家々の新築ラッシュで村の広場はどんどん狭くなり、ついには祭りを行うのは不可能になり、村に接した畑を政府がおよそ500万ルピーもの高額で買収して、そこが今年から祭りの場になった。ただ、この夏の山からの土石流で地面はデコボコ、石ころも多くて踊りにくかった。
歳を重ねるに従って、というのもあろう。カラーシャの最も重要なこの祭も、30数年前の頃の感動はだんだんと薄れてきて、私個人は何となく義務的なルーティンになってきている。カラーシャ社会は以前に比べると断然金回りが良くなっているので、物質的には豊かになり、衣装は派手に、マンダイック(先祖の霊が帰ってくる行事。お盆)やゴシニック(子供の通過儀礼。七五三)で持て成される物も、肉入りご飯、チトラールで買ってきた果物、ビスケット、ソフトドリンクと豪華になっている。
どこの世界でもそうだが、物資的に潤うにしたがって内面的なものが廃れていくのはカラーシャでも例外ではないのである。昔は宗教的に少数民族のカラーは周囲のムスリムに蔑まれ牛耳られていたのに、近年、イスラム政府は「少数派に寛大だ」というところを見せつけるためもあるのか、やけにカラーシャを支援している。(もっとも、カラーシャの支援プロジェクトの名で、支援金が現場に降りてくる途中で関係する人間たちが手にする美味しい汁のためというのが本当のところかも知れないが)伝統行事が衰退せぬようにと、政府はカラーシャのカズィ(長老、識者)30人ほどに、大きな祭りがある度に各3万ルピー、年で9万ルピーものお金を当てがい、祭りを先導するようしている。しかし、長老、識者たちは次々と亡くなってしまい、今は識者でも何でもない家族の若い人らがお金だけ受け取り、バラングル村には男女10人のカズィがいるが、祭りにすら顔を出さない者もいる。
そういうことで荘厳で神秘的な雰囲気だったチョウモスは、ワインやタラ(桑やアンズの焼酎)を飲んで酔っ払った若者たち、近頃はマイカーを持つカラーシャも結構いるので、ボンボレットからも若者が大勢やってきて、ただ、わあわあ騒ぎ踊って統制がとれないカオスと化してしまっている。しかも、今年はビリール谷で祭りの最中に男女2人亡くなるという悲報があり、ルンブール谷は行事は終わりに近づいていたものの、年配の方の多くが葬式に出かけたりして、最終の歌踊り行事、ラワック・ビイーック(キツネ脅し)は若い者たちばかりで盛り上がりに欠けた。