チトラールへの夜行バスにて/On the night bus to Chitral

3月15日に書いたもの

 2月27日にルンブール谷の我が家を出て、チトラールに一泊、翌日2月28日夜にイスラマバードに着き、3月4日に日本大使館大使公邸で外務大臣賞の表彰式に赴き、大使館の方々と話をするというイスラマバードでの主な目的を終えた。いつもお世話になるティミィ&ファジア夫妻、上院議員のフィダ氏や日本人の友人たちと久々に会えたことも気持ちの上で大きな収穫だった。

 

 ファジアは「この家はあなたの家と同じなんだから、好きなだけ滞在してね」と言ってくれるけど、あんまり整い過ぎて今ひとつ面白味に欠ける都会イスラマバードに10日もいて、とりあえずイスラマバード でやるべきことを終えると、何かそわそわ急に里心が着いてしまう。「いつも親戚の誰かが具合が悪くなり町の病院に連れて行かれたりしているけど、みんな元気でやってるかなあ」「2月16日から学校が再開されたので、うちの図書室に来る子供たちがグーンと減っているが、今はどうなってるのだろうか」「毎晩、私の部屋のストーブの脇で寝ているタローは、留守中外に閉め出されて雨に濡れてないだろうか」「家を出た翌日に、村の親戚が亡くなったが、埋葬から7日目の喪明けの行事が済んだかなあ」「雨の日が続いているとのことだが、麓の町からの道路は決壊してないかなあ」いろいろ考え出したら、もう、すぐにでもルンブールに帰りたくなる。

 

 昔は12月から4月末まではディール地方とチトラール地方の境界線の3140メートルのラワリ峠が雪で覆われ、陸路は閉ざされて、その間は天気や風、機械のトラブルですぐに欠航になる小型飛行機でしかチトラールには行き来できず、まさに陸の孤島だったが、現在ではラワリ峠の下にトンネルができて、冬でも毎日チトラール~ペシャワール、チトラール~イスラマバード のバスが通るようになり、ずいぶんと便利になった。

 もう何十回と利用しているG9マルカス(通称カラチ・カンパニー)からチトラール行きのコースターは夜8時出発で、切符売り場のおじさんや兄さんたちは私が多少チトラール語を話すと、ニコニコ顔で喜んでくれる。今回、前日に買った切符の席は1番、つまり一番前の一人座席の特等席だ。コースターの車体も進化していて初めてちょっとスカスカだったけどシートベストがついていた。私の後ろも一人旅の女性。運転席の後ろ、補助席を隔てた二人座りの席にはいかにもチトラール人という優しそうな老人と目鼻立ちがしっかりした大柄な夫人の夫婦が座っていた。

 夜の8時に出て、ペシャワール・モーターウェイを飛ばし、最近できたスワット・モーターウェイが終わる手前で高速道路を降りて、10時ごろだったか、殺風景な食堂で食事休憩となった。私はカラチ・カンパニーでチャプリ・カバブとナンを買って、バスの中ですでに食べ終えていたので、トイレだけ使わせてもらったが、普通休憩するようなイルミネーションに輝き、数台のバスの乗客で賑わっている活気はなく、妙に風ばかりが強くて、私は早々にバスに戻った。斜め後ろの老夫婦が、食堂から運んでもらったチャイにナンを食べていた。座席に座った私に向かって、そのおじいちゃんが「全く、何にも食べるものがないよ、ここの食堂は」てなことを言いながら、手に持ったナンを勧めたので、「ほんとにそうだよね。私はカラチカンパニーのカバブを食べたので、けっこうです」てな感じでブロークン・チトラール語で断る。

 しばらくして食堂の兄さんがチャイの器とお金を回収しに来た。

「いくらかね」じいちゃんはパシュトゥ語で訊く。

「100ルピー」兄さんがパシュトゥ語でいう。

「なにぃ、100ルピー?この小さいカップのチャイとナンだけで?」じいちゃんが驚く。

「そうだ。チャイ1杯30ルピー、ナン20ルピー。二人分で100ルピー」

 チトラールでは普通チャイは20ルピーだから、おじいちゃんは不満そうにぶつくさ言いながらお金を払う。

 おじいちゃんには悪いが、この場面を見て私はちょっとホッとした。

 イスラマバードでは物価の全てが高くて、部分的には日本よりも高くなっている感じがする。たまたま買ったトイレットペーパーは1巻きで120ルピーもした。チトラールではいつも10巻き200ルピーを買ってるのに。F10マルカス(ショッピングセンター)の食堂の店先でチキン串焼きが炭火で美味しそうに焼かれていたので、値段を訊くと1本400ルピーだという。私は150か200ルピーぐらいかと想像していたのに。ネスカフェなどのインスタント・コーヒーも650とか800ルピーとかで、日本より高い。しかも中東やロシアからの輸入品でどこで何が混ざっているのかわからないものだから、うっかり買う気にもならない。もっとも添加物や農薬に関しては日本が圧倒的にやばいけどね。

 10日間のイスラマバード 滞在で物価の感覚が麻痺していた私に、おじいちゃんの素直な嘆きに近い言葉に、「そうだよね。おじいちゃん、まったく同感だよ。最近の物価高に違和感を感じているのは私だけじゃないんだ。」と心で頷いた。

 この老夫婦はチトラールの1時間手前のドローシで降ろしてくれと言った。

「どこで止めたらいい?」と運転手は夜明け前の暗いドローシの町を走りながら訊いた。

「四つ角じゃわい」とおじいちゃん。

「四つ角って言うても、どこかいな」と運転手。

おじいちゃんははっきりわからない様子だったが、運転手が1軒だけ開いていたチャイ屋の前でバスを止めた。

おじいさんは先にバスを降り、横に座っていた大柄のお婆さんが立ち上がったが、お婆さんは足をあまり動かせず、通路側に移動するのに難儀していた。私は、途中で乗り込んで来て、運転手と私の座席の間のエンジンカバー?の上にぼうーと座っていた若い男性の肩を叩いて、

「ほら、あなた、お婆ちゃんに手を貸してあげなさい」と言った。日本だったら、知らない若者に到底こんなことは言えないが、パキスタンの男性はすぐに後ろを振り返ってお婆ちゃんを抱きかかえるようにしてくれた。お婆ちゃんは無事バスから降りたようだが、あんなに体が不自由だったら、乗合バスでの移動はしんどいだろう。トイレにも行かなかったようだが、よく辛抱できたな、と想いを馳せた。

 

 チトラールに着いたのは朝の6時半。10時間半かかったことになる。チトラールはかなりの雨が降っていて泥んこ地面にスーツケースを引っ張るわけにも行かず、チトラール大学に通うために兄弟や友達とで部屋を借りている村のジャミール君(ヤシールの末弟)にバス・ターミナルまで来てもらって、荷物を行き着けの食堂まで運んでもらい、暖かい砂糖なしのチャイを飲んで、一息ついてから、早々にルンブールに帰ることにした。ほんとうはチトラールで銀行その他の用事があったが、雨が振り続けると、ルンブール谷への道路も決壊する恐れがあり、我が家を目の前にして、道路が通るまでチトラールで何泊もしなければならないという可能性もなきにしもあらずなので、アユーンまで乗合タクシーで、アユーンからはチャーターのタクシーでルンブールの家まで戻った。途中、ルンブール谷の道路には雨でいたるところに、20センチほどの石が山から滑り落ちていた。