2009年、パキスタンのタリバン(パキスタン・ターリバーン運動 )がスワット地方を占拠する事件が起こってから、ペシャワールなどでKP州テロが多発し、それに伴い、外国人旅行者に対してのセキュリティーも厳しくなって、カラーシャ谷への入域の際は護衛の警官の同行を求められるようになった。
旅行者だけでなく、私にも多い時は3〜4人の警官がつくようになり、それまで20年以上地元人と変わらない形で住んでいた身としては、ちょっと上流の親戚に会いに行く時でさえ、いちいち警官を引き連れて出歩かねばならず、まあ私につくのは村出身のカラーシャ警官にしてもらっていたので、彼らは交代で一階のクラフト室に夜に寝るのが主な任務で、昼間は自分の家の用事をしたり、村をぶらついたりして、これで月給もらえるから彼らとしては楽なものではある。
それで私がいざ出歩く時、いちいち「散歩に行くよ」と彼らの一人に携帯電話で連絡しなければならない。それがどういうわけか決まって彼らの携帯電話が繋がらないのである。「充電していた」とか「家に置いたままだった」とか彼らは後で言い訳はたくさん言う。こちらはほんの2〜30分の所に行くのに、まず村中歩き回って護衛の警官を探さなければならないというアホみたいな行動をやむなくする羽目になったりしていた。
2019年春、そういう外国人護衛制度がようやく終わり、晴れて外国人旅行者は護衛警官なしでカラーシャ谷を訪れることができるようになった。私は一階の図書室に本やテレビスクリーンが置いてあるので、これまで通り下の部屋に村の若者(警官)が寝てくれた方が心強いし、彼らもよそに駐屯させられるよりも自分の村にいる方がいいに決まっているので、チトラールの警察署長さんに嘆願して一人だけ続けてもらっている。
ぼちぼちと外国人ツーリストが来るようになったかなと思うまもなく、2020年春、コロナ禍が始まり、ルンブール谷への外国人ツーリストはパタッと影をひそめた。テロ時代でも祭りの時だけは来てくれていたイギリスからのツアーも去年、今年とゼロ。
それが先月ポーランドのツアー客が1泊だけだったが、うちの村のゲストハウスに宿泊。ハンガリー人も個人でやって来た。8月に入ってからはスペインからのツアー客が2組、計20人が2泊していった。もちろん彼らは全員ワクチン接種はしているとのことだが、これまでイギリス人、フランス人の旅行者が多かっただけに、何かこの夏から新しいツーリズムの風が吹いていくのかな。
電気・スマホ、そしてしまらない日々
7月、8月は時として大雨が降り、谷の川が泥水と化す。現在は上流の泉から水道が引かれているので飲料や調理の水には問題がないが、以前は川が泥水になると、女性たちは湧き水を探してうおさおしていた。
ただし水力発電にはこの泥水は問題なのだ。発電所の水路やタンクに泥や砂が沈殿して水を水管に落とせなくなるのだ。その度に管理人や村の男らは泥や砂をシャベルでタンクや水路の底からさらわなければならない。7月はこの作業が数日あって、電気が来なかった。さらにタービンの部品が壊れて、新しいものが都市部から届くのに、間にイード(犠牲祭)があって、けっこう時間がかかった。その修理が終わってやっとこさ電気が来たのもつかの間、今度は発電機のトラブルで1週間、電気なし。
だからこの1ヶ月あまり、電気がついたのは何日あったのか。かろうじて夜になると、村に一軒ある食堂がヤシール所有の発電機をガソリン持ちで回し、ヤシールの家にも電気が来る仕掛けなので、私は毎晩スマホを充電しにヤシールの家に出かけていた。
先月のブログに書いたように、ルンブール谷の携帯電話は4Gが来るようになったので、通話用と別にインターネット用にスクラッチカードで払い込んでいる。そのオプションが75Gで30日、数百ルピー(破格の安さ)ただし12AM〜12PMとあったので、正午から夜中の12時だと思ったら違っていて、夜中の12時から正午までだった。だから夜11時過ぎにいったん一眠りして、夜中の2時、3時に起きだして、布団の中でデモクラTVやニュース、昔の60年代70年代ロックやら、はたまた落語なども観て、時々声を出して笑ったりしている。それ故当然、睡眠が分断され、昼間も眠くて眠くて2度ぐらい昼寝するという、何かだらだらと締まりのない日々を送っている。
このスマホもしかし、通信自体がよく切れる。夕方から翌朝まで突然電波が切れるのだ。30日分の電話料金やネットのパッケージ分をカードで払い込んでるのに、その四分の一、三分の一は電波がない。ない分を延長してくれと言いたいが、苦情受付は都会のみで田舎は通じない仕組みになっている。携帯電話会社は全くボッタクリの詐欺師じゃないかと怒っている。
確かにだらけたような日々ではあるが、実は密かに(というわけでもないが)頑張ろうとしている部分があるのだ。3月に「外務大臣賞」を日本大使館で表彰いただいた後から今までの5ヶ月間、草の根援助へのプロジェクト申請を推し進めているのだ。土石流からの防護壁と堤防建設、それにゴミ焼却炉建設である。
2013年と2020年の2回にわたって、バラングル村の背後の山2箇所から土石流が押し寄せ、2013年にはカラーシャ小学校が見事に土砂に流されてしまった。一階には図書室がある「AKIKOの家」の周囲も内部も土砂被害にあった。その夏は一時帰国していて現場を見てないが、昨年2020年の時は私も村の家にいた。土砂降りの雨が降り始めた時は「ん、ちょっとひどい雨だなあ。でもうちの建物はよそよりも頑丈だから大丈夫」とたかをくくっていたが、土砂の勢いがどんどん強くなってきて、「こりゃ、いかん。ひょっとして建物が土砂に襲撃されて壊れて流されるかも」と恐怖を覚え、デイパックに貴重品をつめて逃げる用意をした記憶がある。(逃げるにも、周囲が濁流で逃げようがなかったが。)2013年に流されたカラーシャ小学校は半分新しく再建されていたが、2020年にまたもや土石流災害に会い、現在も壊れたままの状態だ。
NGOの代表として長年、全てボランティアで活動をしてきた身である。特に2004年の「水力発電プロジェクト」の時は書類作りと工事の責任の重さに大変に疲れ、もちろん完成のあかつきの喜びはそれを吹き飛ばすものではあったが、もう2度とこういったハード面の事業はやりたくないと思ったのも正直なところだ。
それがもう一度、衰えた脳みそにムチ打って、新しくプロジェクトを組もうとしている。もうこれが最後のハード面の公共事業プロジェクトになると思っている(承認されればだが)。しかし、悲しいことになかなか書類が揃わないのだ。工事の見積もりは3箇所から取ることになっているが、もう10回ほどヤシールをチトラールの町に送り、専門の技師から堤防と防護壁の見積もりをお願いしているが、明日、明日と延ばす、あるいは疑問点を訊くにも連絡が取れないなど、思ってた以上に困難だ。
水力発電プロジェクトの時はAKRSPのシニア技師が見積もりと図面をやってくれ(その分随分お礼がかかったが)たが、現在AKRSPは運営規模縮小で、紹介してもらった若い契約技師は経験があまりないようでスムーズにいかない。とほほ。
そして、ゴミの焼却炉も絶対必要不可欠なものだ。谷では現金収入が各家庭に行き渡り、村の店が増え、それに比例してゴミも当然増えるばかりだ。図書室で生徒たちにプラスチックゴミのことやソフトドリンク、スナック菓子の危険性などを動画で見せたり、村人にも訴えたりはしてるものの、彼らは地球全体の環境破壊や海の汚染などに想像力が回らない。あれだけ情報が多い日本でさえ、真剣に環境のことを考えて行動している人はそんなに多くないのだから。
いやルンブール谷に限ったことではない。チトラールの町のゴミ汚染はさらにひどい。今回焼却炉を造ろうといろいろと聞き回っているが、まずチトラールの町には焼却炉がないことが判明した。それがぐるっと廻って、なんと地元ルンブールの診療所にあったのだ。この診療所は赤十字が8年ほど前に建てたもので、焼却炉は建物の裏の人の通らない場所にあったので、ほとんどの人が気がつかなかったのだ。使った注射器や薬の始末をきちんとするために焼却炉を造ったとはさすが赤十字。
それで焼却炉について詳細を聞くために、チトラールの赤十字を尋ねたが、責任者は「もう何年も前の工事なのでわからない。工事請け負い人が知っているだろう」という。その工事請負人を探し出して連絡すると、現在ラホールに住んでいて、焼却炉のことなどすっかり忘れていて図面もない。仕方がないので、私が図面と見積もりを作成するしかない、という現状だ。
嗚呼、これを書いてる端から疲れてきてしまったぞや。いや、そうは言ってられない。もう一踏ん張りしないと。