ペシャワールの、家族同然の付き合いのあるフィダ家の二男サルマンの結婚披露宴(11月14日)の招待が来て、急遽ペシャワールに行くことになった。
前日にハイクラス夜行バス、ヒンドゥークーシュ特急(1980ルピー)を予約していたが、12日の朝にチトラールに着いたとたん、その特急バスが故障でキャンセルになったと連絡が入った。では普通のコースター(1200ルピー?)で行こうと切符売り場に行くと、「女性一人分の切符は売れない。ダブルでないとダメ」と、イスラマバード行きは一人分でちゃんと買えるのに、男社会のカイバル・パシュトゥーン・クワ州の州都行きだと、随分時代遅れのことを言い放つ。
ランクが下がるフライングコーチ(ハイエース)なら他に女性の乗客がいるので、その横に座れば一人分でも切符を売ってくれるとのことで、乗り心地は格段に悪いがそれに乗ることにした。近くの銀行でお金を下ろして戻ってきても、まだ時間があるというので、奥にある女性用待合所で待っていた。しばらく待ったので、フライング・コーチ世話係おっさんのところに戻ったら、「もうあのコーチは出た」と言うではないか。「えー!あんたが待つよう言うから、待ってたのに」と口を尖らせたが、後の祭り。
ちょうど目の前で、シェアー・ハイヤーの運転手さんが「後一人、ペシャワールに行く者はおらんかぁ」と叫んでいたので、急遽それに乗ることにした。きれいなハイヤークラスの車に4人でシェアして、一人2500ルピー。私はフロントシートに座らせてもらった。別な乗客がATMでお金おろしに行ったり、何やかんやでチトラールを出たのは昼前の11時40分。ペシャワールの私が泊まる安宿まで送ってくれて午後8時。今はトンネルができたのでペシャワールにもイスラマバード にも速く着く。
フィダ一家から泊まるよう言われていたが、結婚式に参加する親戚たちでごった返していて、パシュトゥ語がわからない私にとっていろいろと面倒くさいので、今回はオールドバザールの昔よく利用していた安宿に部屋をとった。オールドバザールは2001年9・11以来テロが頻発して行かなくなっていたので、翌日ゆっくり歩きたいと思ったこともあったのだ。
でもまず、披露宴に出るのにちゃんとした靴がないので、靴を買わねばならない。昔オールドバザールの奥まったところで、イタリア製のやら外国製のセカンドハンドの良い靴が売られていたのでそこに行くつもりだったが、ペシャワールの元弁護士友人の最新情報によれば、オールドバザールではなく、サダールの赤いモスク近くの何とかバザールに良い質の靴が揃っているとのことで、そっちに行くことにした。リキシャで行き着いたところは、私が知らなかった界隈ではあったが、女性客も多くて庶民感覚いっぱいで、すぐに馴染めた。外反母趾の上に、左右のサイズが0.5センチ違う私の難しい足にもどうにか履ける靴を見つけて、とりあえずはやれやれだ。
日曜日の夜ハヤタバードで開かれた結婚披露宴は、パシュトゥーン伝統に基づいて会場は男女別々になっていて、会場の中央奥に舞台があり、その両脇のスピーカーからは会話が聞こえぬほどの大音量でディスコ調のウルドゥー音楽が流れ、舞台前では子供たちが音楽に合わせて踊っている。時間が経つにつれ女性たちも踊るようになる。踊り場の両側にソファーセットが置いてあり、会場全体に10人がけの食事用の大テーブルが十数台ある。
夜7時から始まるといっても、式辞があるわけでもなく、始めの2時間ぐらいは新郎新婦が座る舞台のソファーも空っぽで、ただただ大音響の中、女、子供が踊るのを見るのみで、持て余してしまう。ようやく二男の姉妹や女性の親戚に先導されて新婦が登場。舞台のソファーに座った新婦が座ると、それぞれが新婦の横に座ってフォトセッションが始まる。
それからようやく食事が始まる。二男の妹が案内してくれたテーブルの椅子の背に、私のデイパックを掛けていたのに、戻ってみるとデイパックはテーブルの下に投げ捨てられていて、私の席は占拠されていた。
他にも席がない人がたくさんいた。思うに参加者はだいたい子連れでやってくるのに、どうも主催者側は子供を勘定に入れてなかったようだ。蓋を開けてみると、どのテーブルも子供が席の半分は占拠しているのだ。急遽即席のテーブルが設置されたが、、ミネラルウォーターもグラスもなく、大皿に盛られた料理に取り分ける大匙もない。私が嫌いな缶入りソフトドリンクはボーイたちがやおら持ってくるが。料理は脂濃い肉料理がメインなので、手や口元を拭くテッシュが欲しいと言ったら、隣の少女がどこかに探しに行ってくれたが結局見つからなくて、同じテーブルの、ケバケバしい衣裳に身を包んでいるが食欲も豪快な女性たちが「テッシュはこれだよ」と、テーブルクロスの端を引っ張って手を拭いて笑った。
食事が終わって、どのくらい経ったか定かでないが、最後に男性会場にいた二男がまた姉妹たちに先導されて現れ、舞台の新婦の横に並んで座る。婚約して数ヶ月経ち話もしていたもようでけっこうくだけた良い雰囲気だ。美人で感じの良い奥さんをもらって本当によかったと思う。私もようやくリラックスして少し二男や姉妹たちと踊った。
二男にお祝いのお金も渡し、フィダさんにも会い、11時ごろになったので「そろそろホテルに帰りたい。タクシーで帰る」と家族の一人に言うと、「僕が必ず車で送るから、待ってなさい」と言われてホールで待つが、だんだん人がいなくなり、外に出ると、「待ってろ」と言った本人が車に乗って出ろうとしている。あわてて止めて「私はどうなるのだ」と言うと、別の車に乗せられて、フィダ一家の旧邸に連れて行かれた。そこでも別々の家族の人たちが「心配ない。送ってくれるから部屋に入って待ってなさい」と言う。
私はこれまで彼らに付き合ってきた経験で、当てにならないことを肝に銘じて知っている。部屋で待っていると夜が明けてしまうと思い、外に出て、ちょうど村に帰ろうとしていた親戚の車に便乗させてもらった。私のホテルはカイバル・バザールの古いホテルだから、よく知られている。少なくともカイバル・バザールは誰でも知っているはずだ。ところが、乗り込んだ車を運転しているのはイスラマバードの上院議員フィダさんのオフィスで働いているくせに、マラカンド地方出身だからカイバル・バザールは知らないと言うのだ。そんなに難しくない、メトロバスの高架道路の通りに行けば行き着くと私は言うものの信じてもらえず、あっちこっち道で聞きながら遠回りをして、私が乗った車と同行の3台を後ろに引き連れて、ホテルに戻ったのは夜中の2時近く。同行の車4台は2時間かけて村に戻るらしい。
ほんとうにこちらの結婚式は、参加する女性たちがパーティ用の衣装を見せるために、そして結婚式会場ビジネスのためにあるようなもので意味がないとつくづく残念に思う。
今回はカメラの調子が悪くなったり、きちんとした写真が撮れても、どうせパシュトゥーンの習わしで女性の写真はブログにもアップできないので、写真も撮らなかった。記念に新婦とのツーショットを親戚の子供に頼んだら、超ピンボケだった。