毎晩毎晩よくも山羊を犠牲に/ Almost every evening goats being sacrificed

 1月8日午後、外が騒がしいと思ったら、うちの目の前にある神殿でジャマットの一族が「神に祈願」のために山羊4頭が犠牲にされた後に捌かれていた。

 ほんのこの前、チョウモスや葬式でたくさんの山羊を犠牲にしたのに、「またかよ~」と思ってしまう。この祈願は一族が冬の間に一度行うものだから、別にこの日にやることはないのなあ。多分、少しばかり霊的能力がある人が夢を見て「今日、行いなさい」と言ったのだろうが。

 

 これら捌いて煮た山羊4頭分の肉や肉汁ポタージュは当然村の男たちの胃に収まるわけだ。この祈願に山羊1頭を差し出したジャマットに「毎回男たちだけで肉を食べて、いいよね」と皮肉ったら、「女たちには、今晩ゴラムナビの家でジェシタクのために山羊が捧げられるから、それが食べられるよ」と弁解めいて言う。

 

 ゴラムナビ一家はチョウモスから増築した2階の家に住み始めていたが、家の守り神ジェシタクを入れてなかったので、今夜山羊の血を捧げて招くということだ。この犠牲後の肉汁ポタージュと肉やモツは村中の家に分けられる。器を持って行き来するのに、すぐ近所ではあるが雪道が滑りやすくて、私はもらいに行かなかったが、親戚が分け前を持って来てくれた。

 

 翌日9日には、甥(ジャマットの実兄の三男)が半月ぐらい前に熱が出た後、ひどい頭痛が治らないので、仔山羊を捧げてイストンガス(男の浄めの儀礼)が行われた。

 

 1月10日、私は用事でチトラールに行っていたけれど、村ではチョウモスで通過儀礼をしたワヒードの息子とジャラバッドの息子が山羊各一頭ずつ、プシ・イストンガスを、それと別に左手足が麻痺したサイフラーさんの同居の叔父さんのイストンガスも行われた山羊計3頭の肉はやはり男たちの腹に納まっている。

 

 同じ日の夕刻、甥(ジャマットの実兄の二男)の嫁さんの実家ボンボレット谷から、子供も含めて28人の親戚が長男誕生の祝いに駆けつけた。チーズと純ギー、小麦粉タシーリの他に、チキン入りの油ご飯も大釜で炊かれてもてなされ、夜には牛1頭が捌かれ、深夜までうちの前の神殿で肉が煮られていた。

 

 翌朝ボンボレットの親戚たちに肉塊と純ギーを混ぜた肉汁ポタージュと小麦粉タシーリがもてなされ、彼らは甥側からもらった現金をと共に帰って行った。

 

 1月13日は、赤ん坊と共に実家に半年間ほど帰っていたジャマットの姪(父親違いの弟の長女)が、夫の家に戻る日で、姪に同行した親族たちのために山羊が2頭裁かれた

 

 夫の家といっても同じ村の徒歩2分ほどの近さで、私には彼女が実家にいるのか、嫁ぎ先にいるのかわからなかったぐらいだ。結婚してから2年以上経つのに、そんな仰々しく山羊を捌いてもてなしたりしないでもいいのにと、近年、山羊が病気で死んだりして人口に対しての数が減っている現状を踏まえて思ってしまうのだ。

 

 

 カラーシャは貧しいとイメージがあるようだが、何のなんの、特にカラーシャの男たちは、1頭2万ルピーもする山羊をしょっ中犠牲にして、その新鮮な肉を食らっていて、贅沢この上もないのではないか。しかし山羊の塩煮と肉汁ポタージュのワンパターンでなく、もっと色々とレシピを開発したらいいのになあ。もっと野菜を食べないとダメだよ。