時の経つのが速すぎて、前回ブログを更新してからもう3週間も経ってしまった。
その間、草の根援助申請の諸々の書類作成の仕上げをやっていたという以外は、何をしてたのかパッと思い出せない。歳だねえ。日記を見ると、上流の聖域で行われるバスン・マラット(春の祭礼)、その翌日女の子たちが行うシウ・ワージック(橋渡りの儀礼)、村人のイストンガス(山羊の血で行う男の浄めの儀式)、積まれた薪用丸太で遊んでいた3歳の女の子が崩れた丸太の下敷きになって亡くなり、彼女は通過儀礼を受けてなかったので葬式はなかったが、家族親戚は7日間喪に服した。また隣の谷ボンボレットでもお年寄りの葬式があったり、数日おきに何かしら行われたり、起こったりしていた。だけど、聖域での祭礼は男たちの担当で女は立ち入り禁止だし、橋渡りの行事はタイミングを逃してしまい、ボンボレットの葬式にはコロナを心配して参加せずで、写真を撮っていない。まあ、行事が異なっていても、写真にすると同じように見えたりするから、長年住んでるとどうも写真撮影にも熱くならないということもある。
昨日はうちの向かいの神殿の前で、ベラバーシの行事が行われた。これは悪い天候が続く春先に、牛一頭を神に捧げて天気の回復を祈願するバラングル村だけの行事だ。今年の冬は祈願しなければならないほど悪い天候ではなかったが、女性も牛肉を食べれることもあるし、もう恒例行事となっている。今年は物価高で隣村から買った牛も5万ルピー(現在のレートで33000円)。これを70数世帯(買う世帯のみ)で割り算、1世帯670ルピー払って肉をもらう。祈願したお肉はありがたいということで私もいただいた。家で重さを測ったら810gだった。
カラーシャの家ではこの牛肉はいつも彼らがやるように、塩煮にして煮えた肉を引き上げた後の肉汁に小麦粉を入れて煮てポタージュ風にして、これをオカズにしてタシーリと食べる。が、私はフライパンで少しばかり焼肉にして、残りは玉ねぎ、人参、じゃがいもを入れてシチューにしようと思う。
付け加えておくと、一昨日はバラングル村の河原で子牛を捧げられての祈願が行われている。これは夢占いによるもので、占い人が「あんたの家に関して悪い夢を見た。すぐに牛を捧げて、神に祈願しなさい」などと言われた家族が調達した牛が犠牲にされたので、塩煮された臓物や肉、ポタージュは村中に配られる。私も骨つき肉をもらったが、子牛の肉は柔らかく美味しかった。
昨日のベラバーシの肉は昨夜塩煮にされて今日食べるのだが、今日は今日で、また別の人から言い渡されたというので、ジャマットの山羊小屋の屋根で子山羊が祈願のために犠牲にされるという。この肉は女性は口にできない。昨日の肉があるので特別欲しいとも思わないが、しかし家畜を犠牲にし過ぎではないかい?と思ってしまう。
以前は犠牲にした山羊の皮はミルク作りの撹拌に使われたり、皮からむしり取った毛は灰をまぶして脂気を取った後、お年寄りが縒ってロープにしたり、敷物にしたりしていたのに、今では捌いた後の毛の付いた皮は、その辺にほったらかしになっていて、ノラ犬の餌となっている。
冬から春にかけて野良犬の出産の時期で、うちの庭には10匹近くのノラチビたちが勝手にいるのだが、乳離れして餌がないチビらが毛のついたカピカピの山羊皮をどっかから持ってきて、毛をむしり皮を食うのだ。ノラだけでなく、うちのタローも生臭い山羊皮が好きで、しょっちゅう戸口の寝床に咥えてきては私に叱られている。
家畜の命を犠牲にするなら、最後まできちんと有効に大事に使わねば、いずれバチが当たるのでは思ってしまう。金回りが良くなって、家畜の犠牲をすることも前より多くなってるが(村対抗の雪ゴルフのトーナメントでも勝者は牛を捌いて祝う)、何か大事なものが失われていってると感じる今日この頃だ。