6月、猛暑のイスラマバードとペシャワールに駆け足で1週間出向いて、ルンブールに帰ってきたらありがたや、天然クーラーの20~21度の部屋でやれやれ、ぐだぐだと1週間。セーターを引っ張り出すくらいうすら寒かった。
その後、下腹がチクチク痛み始め、私には珍しく下痢になった。鼻水、クシャミもでる。どうも暑さと寒さの急激な変化に体調が狂ってしまい、抵抗力がなくなってバクテリアが巣食ってしまったようだ。と判断してFlyglを飲んだら、これまた私には珍しい頭痛とムカムカまで加わって、7月になってからもヨレヨレでベッドで横になっていた。10日間ほど病人していたことになる。
そういう中、前から設定されていた7月7日の午後に東京のNHK国際放送から電話インタビューを受けた。内容はこちらでの私の活動史や生活についてであった。携帯電話の自分の声がエコーしたりして話しにくかったりしたが、20分間で収まる予定が女性プロデューサーの質問も入ったので、倍以上になってしまった。
9月4日に短波で放送されるそうだが、どうせ編集して5分か10分ぐらいになるだろうね。HPで1週間ほど聞けるというので、後日このブログでお知らせします。
近況写真 /Snaps
3年前に一時帰国した際に買ったデジカメ(キャノンのパワーショット)もう寿命が来たのか調子が悪い。時々色が変になったり、ピンボケしたりする。その前のニコンのクールピックスも3年で突然ピントが全く合わなくなった。11月に予定している一時帰国までもってくれればいいが。しかし今時のカメラは3年しか持たないのかいな。こんなにしょっ中買い替えるのは、無収入の身にはシンドイなあ。
ということで、写真を撮るのも積極的ではなくなってきている。
ジャマットの庭は公共の場と化している
「AKIKOの家」の下方に広がる庭はジャマットの所有地だ。彼は30数年前に事故で背骨を痛めてからは肉体労働ができないようだが、庭の水やりはけっこうマメにやるから、桑とクルミの木々に囲まれた草地は日陰で涼しく、普段でも村人の憩いの場になっている。谷奥のヌーリスタン人もチトラールからの帰りや谷の病院からの帰りに勝手にジャマットのカーペットを引いて一休みしている。村の女性たちはジャマットから文句を言われるから入ってこないが、おじさんたちは昼間からトランプに興じている。
V字谷の底にあるバラングル村、人口が増え、分家して新しく家を建てる世帯も増えている。しかし、建て地になる土地は少なく、どんどん山の方まで家が広がってきている。そういう中、ジャマットの庭は土地の価値が上がってきているはずだ。でも外面が極端にいい彼は、寛大な人物ぶって、何かと集まりに使わせる。
まあ、それもいいとは思うが、休憩や集会に使った後のソフトドリンクのボトルやらチップス・ビスケットの袋が散乱するハメになる。そこが割に合わない。
写真下 1)2)ルンブール谷のヴィレッジ・コンサルトの集会。3月にその議員たちが選挙で選ばれ、今回は初めての住民との集会。
写真下 3)7月10日から始まるイスラム教のコルバニ(犠牲祭)、カラーシャには関係のない行事だが、今年は サウジアラビアの支援でコルバニ・プロジェクトという名のもとに、カラーシャ谷でも犠牲祭を大々的に行うらしい。何と、75頭のヤギが連れてこられ、ジャマットの庭に放たれた。ジャマットの庭の草や木々の葉だけでなく、私のところの垣根もヤギくんたちからずいぶんと喰われてしまった。
干しアンズ
昨年はほとんどアンズの実は獲れなかった。少しばかり実っても、村人たちや通りがかりのヌーリスタン人から食べられてしまい、いつの間にか収穫期が終わっていた。今年はけっこう実ってくれて、例え村人から食べられても、それなりに干しアンズを作ることができた。といっても、私は体調が悪かったので、親戚に委ねた。
電気コンロ
夏の間、私は薪ストーブを使わないので、煮炊きするのに電気コンロが重宝する。ただし、このコンロ、作りがお粗末で、数日で電線が焼き切れたり、コードの接続部分が壊れたりするので、その都度自分で修理しているが、自分で手に負えない時には面倒だがチトラールの町で治してもらえねばならない。チトラールに行くのもガソリンの値上がりで往復1000ルピーかかるようになったので、別の用事があるときに行くことになる。その間はカマドで、落ちた枯れ枝を燃やして煮炊きをする。これも、嫌いではないが、鍋が煤だらけになるのと、つきっきりで火の調整をしないといけないのがたまに傷。
ちなみに今回の修理代は100ルピーでした。