4th International Hindukush Conference is held right now in Chitral after 27 years interval. It is wonderful to meet those dear academic friends and scholars.
第4回国際ヒンドゥークシュ文化会議 が9月14日から3日間、チトラール公立図書館で開催された。
この学術会議は第1回目が1970年、デンマークのMoesgaadで開かれ、2回目は1990年夏、3回目は1995年秋に、Anjuman e Taraqqi KhowarとIsrar-ud-Din教授の主催で、Karl Jettmar博士(ドイツ)、Schuyler Jones教授を議長として、チトラールで開かれた。
今回は27年ぶりに再び前述の組織とIsrarーud-Din教授が尽力して、ヒンドゥークシュ地域を研究課題としている学者や専門家に呼びかけて、近年の研究成果を発表し、意見を交換する場を与えてくれたことになる。
私も観に行くことに
現実の生活に忙しく、あまり研究・学問的分野に重きをおいていない私は、この会議については、参加するビルギッタから1ヶ月ほど前に聞いていても、長い雨で停電が続く日々の中、大した関心はなかった。
9月はじめにビルギッタが会議に参加するために早めに、サイフラー・ゲストハウスに来たので(ここは客のために夜は発電機で電気がつく)、会議のスケジュールを見せてもらった。海外のけっこう知っている人たちが参加することがわかり、顔を合わせるついでに、彼らがどんな研究発表をするのか興味を持ち、拝聴しに行くことにしたのだ。
ビルギッタは会議の前日にチトラールのマウンテン・イン・ホテルに行っていたが、私は当日に行くことにした。庶民の私は、もちろんチトラールの町に出るときも、村人たちと乗り合いのオンボロ車に乗って行く。27年前の会議は町の中心地にあるカレッジで開かれていたので、9時の開会にはギリギリセーフかなと見ていた。
確かにカレッジにはほとんど時間通りについたが、門をくぐって中に入っても、あたりは人がおらず(学生は勉強中)、会議のバーナーなどもない。若い門番に聞いてもチンプンカンプン。突然入って来たカラーシャの格好をしたへんなアジアおばさんにニタニタしながら2人の門番たちは一緒に写真に写ってくれと言う。それどころでない私は、「ダメだよ。ごめん。今会っただけで、私はあなたを知らないんだからね」とブロークンなチトラール語で断ると、「そうだよな」と素直に頷いてくれた。
通りで「それはあっち」だと言う人がいて、そっちに向かうとちょうどチトラール警察署の前を通ったので、突っ立ってるポリスたちに「元気ですか?」とチトラール語で挨拶して、会議の場所を聞くけど、数人いるポリスは知らない様子。それでマウンテンインのマネージャーに電話すると、病院近くの図書館でやってると言う。
ポリスの一人が病院近くの図書館までついて来てくれるが、小規模の図書室のそこではやっておらず。再びマネージャーに電話して、ポリスがやりとりしてくれたが、どうもラチがあかない。それでチトラール大学に通うジャミールに電話すると、あっさり場所はチトラール・スカウトの近くの公立図書館だと教えてくれた。その公立図書館は5年前に設立された新しいものだ。
ポリスが自分の車があるからそれで行こうということになり、無事にわかりにくい公立図書館に着いた。このポリスさんはちゃっかりタクシー代をせびったが(当然だが)、「もし何かあったらいつでも連絡して」と自分の携帯番号と実家の村名まで紙に書いて渡してくれた。
入口でエントリーをして1500ルピーを払い、会議の案内本、ノート、ペン、ウルドゥー語の本などの入ったキャンパス地のマイバッグを受け取り中に入る。
***この続きはまた後で