ジャマットの叔父さん逝く/Passing away of Jamat’s uncle

 山男さんたちが去った夜に雷混じりの雨が降り始め、翌日いっぱい続いて、それまで室温20度だった部屋はすっかり温度が下がり寒くなった。

 10月4日は今、日本大使館に申請中のプロジェクトの用事でチトラールに行ったが、鼻水ジョージョーの状態。風邪の初期症状だ。プロジェクトの件、そして来月はじめに一時帰国のために村を出るので、何かと忙しくなる10月、風邪をこじらしたら大変と、翌日は布団の中で大事を取る。

 

お婆ちゃんの葬式

 おかげで熱も出ずに済んだが、10月6日の未明、カラーシャグロム村の木彫家のラクマット・ワリのお婆ちゃんが息を引き取ったという知らせが入る。このお婆ちゃんはルンブール谷のカラーシャの中では最も高齢だった。村の若者のフェイスブックには130歳と書かれていたが、彼女の兄弟や子供達の年齢を考えると100歳弱だと思う。

 

 同日にボンボレット谷からの親戚や弔い客が来て、翌朝にお婆ちゃんは埋葬された。女性の葬式には遺体の周りで女性たちが弔いの言葉や歌を唄うだけで、踊りは行われず、規模が多少小さくなる。

 

 

叔父さんの葬式

 

 10月8日、お婆ちゃんのクシューリック・ヒスティック(墓場にパンとチーズをお供えする行事)が終わったと思ったら、ここのところ具合がおもわしくないジャマットの叔父さんの容態が悪くなったと聞き、叔父さんのもとに駆けつける。

 

 叔父さんの家はすでに家族、親戚、村の女性たちでいっぱいになっていた。その人たちをかき分けて、布団をかぶせてある叔父さんのところに行くと、叔父さんの長女アスマールが「父さんは逝っちゃった」と布団を取って顔を見せてくれた。

 

 たった今亡くなった叔父さんは触るとまだ暖かかった。体は骨ばかりだった。涙が溢れて止まらない。つい10日ほど前、外で日向ぼっこしていた叔父さんとおしゃべりした時は、まさかこんなに早く亡くなるなんて思いもしなかった。

 

 叔父さんは素朴で明るい性格で、若い頃は横笛吹くのが上手く、いろんな昔話をするのが好きだった。現在は分家しているが、ジャマットが若い頃まで一つ屋根の下で一緒に暮らしていた。

 

 ボンボレットとビリール谷からの弔い客は翌日に招くことになり、葬式の初日はルンブールの者たちで執り行う。夕方には斎場である神殿に集まっている人たちにチーズとタシーリ(平たいパン)が出される。私の家の前にある第二の神殿の前では、翌朝にルンブール谷の全家庭に配られる食事のために牡牛が4頭捌かれ、塩煮にされる。

 

 翌朝10月9日、葬式2日目、牛肉、ポタージュ風肉汁、純粋ギー、タシーリがルンブールの全家庭に配られる。午後には30頭以上の山羊が高地の放牧場から連れてこられる。まず、20数頭の山羊が葬式3日目のために捌かれ、夜通しかけて塩煮にされる。

 

 一方神殿では、他の谷からの弔い客が到着する夕方までルンブールの者たちが、昨日から徹夜で太鼓に合わせて歌い踊り葬式を盛り上げる。

 

 夕方、他谷からの弔い客が到着。彼らにチーズとタシーリがもてなされた後は、弔い客がバトンタッチして太鼓を叩き、歌を唄い、踊りを踊る。

 3日目の朝、死者は同族や客からの弔辞を、家族や親戚の女性たちからは最後のお別れの言葉や歌を涙と共に受ける。そして遺体は一族の墓場に埋葬される。

 

 山羊の肉、ポタージュ風肉汁、純粋ギー、タシーリがまず他谷の客たちにもてなされ、その後ルンブールの全家庭にも配られる。

 

 この日から叔父さんの配偶者、つまりジャマットの叔母さんは次の祭り事まで喪に服すことになる。服を裏返しに着て、家の入り口近くの地べたに敷物を敷いて座り、カーテンをされ、トイレにも日が暮れてからこっそり行くという習わしを7日間行わなければならない。同時にこの7日間、死者の家には多くの人が集まって一緒に徹夜して過ごす。

 4日目の朝、家族、親戚たちは墓地に行き、小さなタシーリとチーズを供える。死者の家に戻ったら、男たちは髪と髭を剃り、さらに2頭捌かれた山羊の肉を食する。

 

 5日目には、谷の奥のヌーリスタン人が来たので山羊一頭を捌きもてなす。

 

 あれやこれで最終的にはこの葬式で35頭の山羊と4頭の牡牛が裁かれた。

3人目の葬式

 10月13日の夜、ボンボレットのカラーシャ兄弟の一族のおじさんが、ビリール谷に通じる山頂近くで死んでいたという知らせが入る。

 

10月14日、その葬式に参加するためにボンボレット谷に2泊3日で行く。このおじさんはもう10日も前から「ビリールに行ってくる」と言って家を出、ビリールに2泊ほどしたらしいが、その後の消息がないままになっていた。

 

 13日の夕方、牧童が座った格好のおじさんを見つけたが、遠くからだったので、妖怪の類いかも知れないと怖がり、近くに寄って確認せず、山を下りて助っ人たちと一緒に現場に行ったら、行方不明のおじさんだったということ。どうも死後4日ほど経っていたらしい。