「草の根援助プロジェクトの断念」とキラン図書室スタート/Giving up the Grassroots Human Security Projects, Started Kiran Library activity

 今日はエプリール・フール。36年前の今日、日本を出て香港に飛び、中国から陸路でのシルクロードの旅をスタートさせた。当時から「人生はちょっとばかりジョークだ」と感じていたので、わざわざ4月バカの日を出発の日に決めたのだ。「これからジョークの旅に出掛けるよ」という意味合いを込めて。

 

 いつの間にか、もうそろそろ人生の終活のことも考えてもいいかと思うような年齢になり、その間、大変なこと、面白いこと色々たくさんあったが、人生はジョークという思いに間違いはなかったと確信する。

 

 その思いを証明する出来事がほんの最近起こった。「草の根援助プロジェクトの断念」である。

 

 日本政府からプロジェクトの承認も下りて、先月に、一時帰国からパキスタンに戻ってきて署名式も無事に終わったのに、今になってどうして?と思ってしまうだろうが、断念せざるを得なくなってしまったのだ。この件のゴタゴタについて説明するには長い話になるので今回は省略するが、ほんと、人生予測しないことが起こってしまうというのは確かだ。

 

 キラン図書室を土石流から守る堤防、防災ダム、ゴミ焼却炉の建設工事プロジェクトは一旦ゼロになったが、キラン図書室での活動は3月だけ、学校が始まって進学試験も行われていたし、私やヤシールもプロジェクトの件などで忙しかったので休んでいたが、4月1日の午後からスタートさせた。知らせが行き届いてなかったこともあって、来た生徒は少なかったが。

 

 1998年、ルンブール谷にカラーシャだけが通う小学校が設立されてから、私たちのNGOは小学生に限らず高校生までのカラーシャ全生徒に教科書を配布していた。数年後に当時の北西辺境州(今のカイバル・パシュトゥーン・クゥワ)政府が無料で教科書配布をするようになったが、新学期に一貫して全生徒に配るということはなく、部分的に何学年の一部に配り、しばらくしてあるいは随分経ってからまた全教科書の一部を配るという中途半端なもので、昨年などは教科書配布は、もうすぐ届く、もうすぐ届くと言われて一年経ってしまったらしい。生徒たちは兄弟や親戚のお古の教科書を見せ合って授業を受けていたが、当然のように生徒たちはきちんと学んでない。

 

 図書室に来た5年生の少年に例えば「ネコは英語で何て言うでしょう?」と1年生の教科書に載ってる初歩も初歩の質問をしても答えられないのだ。ゼロ学年から5年生までの6年間、学校で何してたの?と首を傾げてしまう。進級試験によく合格したものだと思うが、今では進級試験を受けさせても全員合格させる方針になったそうだ。片や、まだあどけない1年生に訊くと、発音は悪いが英語の単語をけっこう答える。ヤシールに言わせれば、この1年生は冬の図書室に毎日通ってきて、英語やウルドゥー語の絵本を見ていたそう。5年生の方は一度も来なかったということだ。こういうことでも、キラン図書室を続ける意義を見出すわけだ。