4月13日、ボンボレットの親戚の葬式にバラングル村の人たちと行く。亡くなったのはジャマットの実兄の長男の嫁の母親で、私のボンボレットの兄弟の叔母さんの娘にもあたる。
まだそんなに歳ではなかったが、昨年秋に倒れて右手足が不自由になっていた。しかし言葉は話せて、亡くなる数時間前にもジャマットの甥嫁さんと携帯電話でおしゃべりしていたという。神殿に安置された遺体のお顔は、安らかに眠っているような綺麗な表情だった。
せっかくボンボレット谷に来たのだから、カラカル村の叔母さんに会いに行く。ブルーン村のカラーシャ兄弟の母親(故人)の妹で、ジャマット側からは叔父さんの妻になる。叔母さんはこの冬、ペシャワールで腎臓の手術を受けてかなり弱っていると聞いてたが、会ってみると脚の痛みがあってあんまり歩けないが、内臓の痛みは治まっているという。末の叔母さんもちょうど居て、一度にお二人に会えてよかった。
翌日は、ブルーン村のブンブールさん夫婦を訪ねる。1987年初めてカラーシャの谷に来た時に泊まったゲストハウスのオーナーでもあるし、カラーシャ兄弟ブトー・カーンの義父でもある。前回訪ねた時は、毎朝対岸の畑と家畜小屋に行って、牛の世話をして夕方帰宅していたが、眼が悪くなり、認知症も始まったので、家にいるようになったらしい。奥さんも数年前から足の甲にできたできものが治らず(何度もペシャワールの病院で診てもらったが)家の近くしか歩けず難儀されている。
歳をとるのは自然現象だからいいとして、歳をとりながらも、みんな健康で楽しく最後まで生きていってほしいと願うが、なかなかそうはいかないのが現実だ。