ラワルピンディに行く / Visited Rawalpindi

  30数年前、中国から陸路でロンドンに向かう途中、イラン・イラク戦争がまだ終わっってなかったこともあり、カラーシャ族の谷で一時待機することにしたが、その際、ビザの延長のために何度もパキスタンの内務省に行かざるを得なかった。バックパッカーの身なので、首都イスラマバード のホテルに泊まるなんぞ考えもせず、隣接する庶民の街ラワルピンディのラジャ・バザールの安宿に泊まっていた。

 おかげさまで今はイスラマバード の友人宅に世話になっていて、長い間ラワルピンディに行ってない。特に多くの店が並び物価が安いラジャ・バザールのあの活気に久しぶりに触れてみたい思いに駆られて、先週の金曜日にラジャ・バザール付近をブラ歩きすることにした。

 

 まずF10マルカスから乗り合いワゴンに乗りG9カラチカンパニーまで行き、そこから20分ほど歩いてメトロバスのNHA駅からPIMS駅へ、そこで乗り換えてラワルピンディのコミティ・チョウク駅まで行くつもりだった。ところがうっかり間違ってコミティ・チョウクの二駅手前のチャドニ・チョウク駅で降りてしまった。

 

 私自身は駅を間違っているとは思いもせずに、コメティ・チョウクで降りたつもりでマリー・ロードを歩いていた。何かおかしいと思い始めていたが、まだ混乱していた。しばらく歩いていたら、15年前ぐらいにK子さんと訪ねた M. P. バンダラさんが眠るパールシー教徒(ゾロアスター教徒)墓所へ通じる路地を見つけた。

 

 路地に入ると前になかった鉄の門があったが、閂は開いていたので中に入った。以前は亡くなられたすぐ後だったので、バンダラさんのお墓は土盛りの簡素な仮の墓だったが、マリービール、トップスなどパキスタンの有名企業のオーナーだったので、立派なお墓に造り直されているだろうと思っていたが、意外にも普通のものだった。

 

 少数派代表の国会議員だったバンダラさんは、カラーシャのために谷に学校を建ててくれたり、水道水を引いてくれたり多くの援助をもたらしてくれ、毎年のようにカラーシャ谷を訪れてくださっていた。お墓の前に立って感謝の祈りを心で述べていたら、少し悲しくなった。そして、降りる駅を間違えたのはバンダラさんのお墓まいりのためだったのかと思うに至った。

 

 その後、ラジャ・バザール目指して歩きに歩いた。歩いた通りはヤギと魚の専門店が並ぶ通りで、工事でアスファルトが剥がされて泥んこグチャグチャ。古いモスクが存在感を放っていた。ひなこさんから昨年頂いていた靴を都会用として今回初めて履いたが、どうも大きくてティッシュを詰めていたがパックンパックン歩くのがちょっとしんどかった。ラジャ・バザールに着いた時は疲れてしまい、店が並ぶ路地に入り込んで歩き回るエネルギーは喪失していて、昔よく泊まったホテルがなくなっていたことを確認してから、乗り合いスズキでサダールまで行き、そこからメトロバスに乗り PIMS駅まで戻り、そこからタクシーに乗ってファジアの家まで戻った。