昨日の夕暮れ、ルンブール谷の自宅に戻ってきた。一昨日の夜にイスラマバード G9発の夜行バスに乗り、チトラールには翌日夜明け前の5時半に着くのだが、まだ真っ暗な中でマルヴィ・バス発着所に降りても、他の乗客はさっさと迎えの車で去っていくし、茶屋も開いてないので、大きなキャリーケースを持った私はどこに行きようがない。
それで、9月にタリバンがアフガン側から襲ってくるからルンブールを出てチトラールに避難(と言うほどのものでは全くなかったが)せよという警察の要請で4泊した甥の家族(甥は仕事でスワット近くに単身赴任)のチトラールの手前の借家近くでバスを降り、まだ寝ていたカレッジに通う末の甥っ子を呼び出して荷物を持ってもらい、そこで数時間滞在。ルンブールから私のためにやってきたセキュリティ・ポリスと朝食を取って、銀行が開く時間を待ってチトラールの町の中心部にリキシャで行く。
特定の収入がないダジャリの家族(子供4人と夫婦とジャマット)に米20キロと小麦粉20キロ、固形油6キロを購入。油は前回より少し安いものを探したが、米はまたまた値段が上がっていた。去年から2倍半は確実に値上がりしている。私はスワット米を食べるが、犬のタローは油ご飯と小麦粉のパンが好きで、私が留守中にはタローの面倒を見てもらっているのでお互い様だ。
タローは私の留守中はサンドリガにダジャリの山羊の放牧に着いて行って、そのまま泊まったり、家に戻っても他のオス犬と争いながらメス犬の後を追いかけ回して夜はいない時が多かったという。確かに目の上を少し怪我してカサブタになっている。私が帰ったら、まあピョンピョン飛びかかってきて喜んでいて、昨夜は家の入り口でちゃんと番犬として寝ていた。