母の13回忌に向けて、4月3日に一時帰国します。
3月の前半はドカ雪で、電気が切れ、水道の水も止まり、道路も封鎖、当然携帯電話も切れ、そこからインターネットを使っていたので、日常生活が急に閉ざされた世界の中という風になった。
私がカラーシャ谷に来た頃は電気、水道、トイレも何もなく、道路はできていたが、谷には乗合ジープもなく(それで私の全財産をはたいて、乗合用のジープを走らせた。今はないが)、本当に不便きわまる生活だったなあ、と今は思う。でも当時はチャレンジ精神も旺盛だったし、困難を面白がっていたので、わりあい平気だった。本当に心の底から困難を感じていたら、とうの昔にカラーシャ谷を去っていただろうよ。誰が強要したわけでもないからね。
今は電気が停電になっても、昼間は私の部屋は大きな窓が2面あって明るいし、家にはバスルームがあって、川原でキョロキョロドキドキしながら青空トイレしなくていいし、そこでバケツのお湯で沐浴もできる(カラーシャの女性は今でも村の家内では顔を洗うこともできない)。階下のキラン図書室に来る生徒たちが持ってきた薪の残りがあって、ケチケチ薪をくべながらもストーブのそばは暖かい。ま、悪くはない生活だ。
日本に一時帰国したら、温泉と魚が待ってるぞ。
3月はベラバーシ(悪天候が良くなるようにと祈願する)、キシサーラス(耕作の儀)、イストンサーラス(山羊の乳を浄める行事)、谷の知り合いのムスリム3人が2日間で亡くなる等々、いろいろとありましたが、道が悪い(人工股関節のお医者さんから転倒するとハズレると言われている)、デジカメが半壊してる、面倒臭いなどで、写真を撮らなくなっていますが、少しだけ撮ったスナップをアップしときます。
ゴミ、ゴミ
雪が溶け後、ジャマットの半地下にある客室の前は、上から投げ捨てられ風に舞って吹き溜まりになってこの状態。
「AKIKOの家」の前の庭は、上流の奥にあるヌーリスタン人やグジュール人が一息付く場所と勝手になっていて、菓子や飲み物のゴミを捨てたまま立ち去る。私が帰国の途に着く前に、親戚の子にゴミ拾いをしてもらった。
アップルパイ作り
ゴミの元凶は、ジャンク・スナックばかり売る村の店屋と、親戚訪問やお祝いやお見舞いに行く際に、女性たちが自分でクルミパンなどを焼くよりも、店でビスケットやソフトドリンクなどを買うようになったことと、全体的に金回りが良くなって、子供がスナック菓子ばかり食べるようになったためだ。
健康にも悪いジャンク・スナックを子供に与えて、ゴミだらけの環境を作るよりも、せっかく地元に天然のアンズやリンゴなどの果物があるから、それで何かスイートを作れない物だろうかと、アップルパイもどきを思いついた。
うちにもリンゴの木があり、ほとんどが虫喰いだが、それでも虫食いの部分をカットすれば十分食べれるので、私は春まで毎日2個ほど食べている。そのリンゴを小さく切って、黒砂糖とシナモンでストーブの上で煮てジャムを作る。小麦粉に少しばかり地元のヤギのギーを入れて練った生地の皮にジャムをのせて餃子のように半分折りにして、フライパンに少し油をしいて焼いたものを食べてみたら、けっこう美味しかった。
それで病人の見舞い、赤ん坊の誕生祝いなどに5枚ずつ焼いて持っていったら、美味しいと言ってもらった。「うちのリンゴで作ったんだから、簡単だよ。店のいつ製造されたかわからん、保存料や砂糖、人工着色料がいっぱいのお菓子よりもよっぽどいいし、金もそんなにかからない。ゴミで土地を汚すこともない」と喜んだ私は力説する。
日本から戻ったら、イスラマバードでシナモンを買って、りんごの木を持ってる女性たちに分けてあげよう。
会計報告作成
日本政府から承認されていた草の根援助のプロジェクトが、パキスタン側の銀行と経済省の新たな規約により、昨年3月末に止むを得ず中止にせざるを得なくなってからは、私たちのNGOの活動はリタイア状態だが、「AKIKOの家」でのキラン図書室活動だけは長く続けるつもりでいる。
「AKIKOの家」活動は今期で18期になる。その会計報告と活動だよりを作成中。私はお金の勘定が苦手なので、この作業はかなりのストレスなのです。
編みひもをあしらえた小物入れ
出版社で働いていた頃の同僚(彼女は現在アメリカ在住)と一時帰国同士で日本で落ち合うことになっているが、その時に依頼された私の手製のクラフト。カラーシャ女性が作った編みひもを縫い付けて、ビーズで飾り付けた小物入れも日本に持っていきます。
タロー
後4ヶ月で7歳になるタローは以前よりは多少落ち着いたようだが、人に飛びつく癖は治らず、私にも一緒に外に出る時は嬉しくてか、必ず飛びついてくる。でも犬に慣れていない人はこれが怖いみたいで、慌てたり逃げようとしたりするので、ついタローの歯で服を破ったり肌に歯が当たって「噛み付いた」ということになってクレームがくる。本当に噛み付くのはオス同士の喧嘩の時だけなのに。
イスラマバード に着いて、タローの面倒を頼んでいる親戚に電話したら、タローは私が発った日は食事を食べなかったそう。せっかく残りのギーとミルク粉をプルカ(発酵させた生地で焼いた小麦粉のパン)に混ぜたご馳走を作って、タローのそばに置いていったのに。それだけ私がいなくなって悲しいと言うことか。よしよし。でも翌日は油ご飯をその上に混ぜたら食べていたというから、そのうち諦めるだろう。
夜行バス
今回はチトラール午後7時半発のコースターでイスラマバードには朝6時半過ぎに着きました。
4月3日のバンコクへのフライトも、4月4日の福岡までのフライトも夜中に飛ぶので、夜型人間への練習じゃ。