壱岐の島 / Iki island

 その昔、正社員のカメラマンとして働いていた学期業界誌出版社の頃の同僚(正確には先輩)、彼女は現在アメリカの西海岸で暮らしているが、今一時帰国中。パキスタンで暮らす私と会う機会は限られているので、せっかくなので日本で会おうということになった。

 どうせなら、温泉と魚が楽しめる場所がいい。となると別府だが、一昨年冬に彼女と別府で15年ぶりに再会を果たしたので、今回は長崎県・壱岐の島を選んだ。2泊の宿泊先は国民宿舎「壱岐の島荘」。昭和44年に上皇様と美智子様が壱岐を訪問された際に、宿泊場所として建てられたという。

 

 先輩同僚とは博多埠頭から壱岐までの2時間20分のフェリーの中でごろ寝しながらのおしゃべりに始まり、昔話、近況報告をたっぷり交換することができた。

 

 しかし壱岐を知るにはもの足りなかった。1日目はフェリーが着いた「郷ノ浦」のかなり寂れた町を1時間ほど歩いたが、土産屋の吉田商店で地元の生ビールを飲めたのと、女神アメノウズメノミコトと男神サルタヒコノミコトが結ばれて一体神になった猿女命サルメノミコトが祀られているという「塞神社」に偶然出食わした以外は何もなかった。

 

 2日目は雨の日。かろうじて宿の人の親切な計らいで、観光スポット「猿岩」に車で連れて行ってもらったのは感謝。確かに海に突き出る岩はお猿さんが座っているだが、でもそれだけ。

 

 だいたいが、壱岐に行く朝から、喉がイガイガし始めて、壱岐滞在で喉の腫れがひどくなって頭痛もしていたのだ。風邪だろう。温泉に浸かると身体の内側からじんわり温まるので回復するかと期待したが、実は壱岐から帰って1週間経ってもまだ調子が良くない。

 

 3日目の最終日に晴天となり、宿から見える海の眺めもそれまでの灰色の世界から、海の蒼色と空の光が輝き織りなす素晴らしい景色となった。が先輩同僚は11時15分のフェリーで、私は1時20分の唐津行きフェリーで壱岐を去らねばならない。

 

 宿の食事も期待していたほどの魚メニューは出なかったし、宿の周りもほとんど人家はなかったので、壱岐に対して何か満足度が欠けていたので、先輩同僚を送った後、1人で少しばかりうろつこうと思った。が、博多埠頭行きのフェリー(芦辺港)と唐津行きのフェリー乗り場(印通寺港)が別なところにあるのが不便なのだ。しかも芦辺港の観光案内のお姉さんにバスの時刻を聞くと、印通寺港までの直通バスはなく、「芦辺」で乗り換えなければならないという。その上乗り換えの「芦辺」で50分も待たねばならない。

 

 その「芦辺」に行くバスも30分ほど時間があったので、ぶらぶら歩いていたら、次のバス停に行き着いた。壱岐で最古の木があるお宮だったので、写真を撮ったりして時間を潰してもまだ時間があったのでバス停の椅子に座ってバスを待っていた。おかしなことに、そのバス停は進行方向の右にあり、左側にはバス停が存在しない。共用のバス停ということだ。しばらくしたら、私が歩いてきた方向からバスが来た。そして運転手さんが私を見て道路の向こう側に止まった。

 

 当然私はそのバスに乗るはずだったが、「郷ノ浦」の行き先を見て、一瞬「これは別のところに行くバスだ」と錯覚し、運転手さんに「乗りません」と手で合図したらバスは行ってしまった。もし自分の目の前にバスが止まったら運転手さんに「芦辺に行きますか」と訊いていただろうが、人通りは全くないが、車がまあまあ通っていて道を渡るのが危ないタイミングだったので、バスまで尋ねに行かなかったのが、間違いのもとだった。バス停の時刻表を見て、郷ノ浦行きに乗らねばならないことがわかり、50メートル先を走るバスを追いかけようとしたが、人工股関節で走れない足でどうやって追いつけるのだ。

 

 そこからが悪運の連鎖が始まった。「芦辺」に着いたにしても、「印通寺港」までさらに50分待つと観光案内のお姉さんに聞いていたので、芦辺まで歩いて行っても印通寺港行きに間に合うだろうと、トコトコ歩いていたら、芦辺まで2キロの表示があった。2キロだったら大したことはない。

 

 結局、小さな湾を挟んで北に港が、向かいに芦辺の町があって、フェリー乗り場もすぐ近くに見えてる距離だった。余裕だと思いながら、停留所があるはずの海辺の道路を歩いていたら、湾が終わりそうになった。「あれ、バス停はどこだ?」とキョロキョロしても見当たらない。やっと地元のおばさんを見つけたので訊くと、「あそこだよ」と教えてくれた。「私もそっちに行くから」と言うおばさんとおしゃべりをしながら着いたそのバス停は「芦辺」ではなかったが、芦辺の次のバス停だろうと思い、少し待っていたら、バスが来たので乗り込んだ。

 

 やれやれ、これで唐津行きのフェリーに間に合うとホッとしていたら、10分ほどして「八幡」というところに着いて、運転手さんからここが終点ですと言われた。「えー、私は印通寺港に行きたいのですが」とほざいても、「ここからはバスが出てないから芦辺に引き返すしかないですね」と言われて同じバスで芦辺に戻る羽目となった。

 

 私が気がつかないで通り過ぎた「芦辺」のバス停は湾沿いにあった。無彩色の四角い、私の脊より低いバス停は海辺に立つ柱やら何やらに紛れて全く目立たないのだ。これまた目立たないバス停の待合室のお姉さんは関東から嫁入りしてきたそうで、「ここのバスはほんとうにわかりにくですよね」と同情してくれ、いろいろと調べてくれたが、印通寺港発唐津行き1時20分のフェリーには確実に間に合わないことが判明。その次の3時発というフェリーには乗れると思ったけど、何とバスが4時過ぎまでないので、結局「芦辺港」から博多行きのフェリーが2時台にあり、バスがもうすぐ来るというので、また「芦辺港」に戻ることになった。

 

 その博多行きはフェリーではなくて高速ジェット船で値段が7千円近くするものだったが、身体障害者手帳で半額になり助かった。そうでなかったら、7千円の高速ジェットに乗らずに、海辺の釣り人の民宿にもう一泊することになっていたかもしれない。

 

 とまあ、壱岐では旅は予期せぬことが起こるという経験を最後の最後でたっぷりさせてもらい、アドレナリンが吹出まくりました。カメラが半壊れなので写真があまりないのが残念。