タイ・チェンライ及び国境山岳地帯/ Chian rai & hill area near Myanmar border in Thailand

 タイ滞在後半は、ローイエットからバンコクに飛び、さらにバンコク~チェンライに飛んで、豊田さんのお宅でまずは一泊。

 

豊田さんの農場 / Toyota's farm

 豊田さんは30年ほど前のJICAの専門家時代から山岳民族に関わる仕事をされていて、チェンライで10年生活したこともあり、インドネシア、パレスチナなどでもJICAの仕事をされたものの、退職後の2017年からチェンライに農場を開拓し、家を構えておられる。

 農場には赤紫蘇、青紫蘇、ひまわり、バナナ、マンゴ、パパイア、モリンガ、カシュナッツ、その他多種多様の木々、野生で生えてくる野菜、周囲は緑々の別世界だ。印象深かったのは、魚を飼育する水をパイプで循環させて植物や野菜を水耕栽培する、アクアポニックス方法で農業を行なっていること。その電源も畑に設置したソーラーという持続可能な素晴らしいシステムだ。

 

 夕食にはアクアポニックスで育てた元気の良い魚、味噌味の紫蘇の肉巻き、そして畑の葉っぱ、特大サイズのマンゴー、ヘルシーなメニューで米焼酎がどんどん進んだことは言うまでもない。

 

 

国境山岳地帯 / Hill area near Myanmar border

 

 翌日は昨夜の夕食も共にしたHADF(山岳地域開発財団)のピジューさんが迎えに来てくれて、HADFを1986年に立ち上げ、山岳民族の人権や環境問題に深く尽力してこられたTuenjai Deets女史も同行されて、山岳地帯にあるセンターまで向かう。

 アユタヤ朝の血筋を引くTuenjai Deetsさんは、大学生時代の1970年代から50年間ずっと活動を続けられ、世界500名誉賞やゴールドマン環境賞なども受賞されている。「現在は舗装道路ができたけど、私が活動し始めた頃は村から村へ泥道を歩いて通ってものよ」とおっしゃる。

 センターはアカ族、リス族、ラフ族、ヤオ族など周囲の山岳民族の中心的な場所にあり、多くの人々が伝統文化の継承、訓練などを実践的に学べる設備が設けられている。これはユニセフ・アジアの援助で建てられている。

 ここにはアメリカ・ミネソタ州から山岳民族の研究をしている交換留学生2人も1ヶ月の予定で滞在していて、そのうちの一人アイシャの両親はラワルピンディー出身のパキスタン人で、時々親戚に会いにパキスタンを訪れるという。

 

 Tuenjai Deets先生、アカ族の大学生、都会の大学生のボランティアなど10数人の方々の前で、さっそく私が準備していたスライドショーでカラーシャのことを紹介する。カラーシャでは女性が不浄という考え方があり、神に捧げた山羊や牛の肉は男性だけで食べるという説明したら、アカ族もそういう風習があると言われた。

 山の民族は女性がよく働き、男性は怠け者というパターンも似ている。大きく広い見方をすれば、タイの北部とパキスタンの北部はヒマラヤ山系の東と西で繋がっているので、類似点があることもうなずける。

 

 午後には近くのアカ族とラフ族の村を訪れた。おじいさんが地面を掘って隠していた20世紀始めのイギリス統治下の純銀インドルピーを持って、ミャンマーから来た鍛冶屋さんはそのインドルピーでアカ族の頭被りの装飾品を作っていた。彼や彼の父親はここは中国だと思っていたらしい。しかるに43年もここに住んでいるのに未だにタイ国籍を持ってないという。現在申請中なのでめでたくタイ国籍を獲得されることを願う。

 またラフ族の村で初めて大学を出て、現在は国会議員の臨時秘書をしている女性の話も興味深かった。

 ランチも夕食も、地元の献立を学生たちが作ってくれ、夕食には地酒も差し入れがあり、夜には再び国籍を持ってない60代の男性にインタビューをする席に同行。その後は教会での集まりを見に行った。英語が上手な若い牧師さんは1年ほど前にミャンマーから派遣されたという。

 その牧師さんが弾くギターの伴奏で、集まった村人(女性が多い)がアカ族語で讃美歌を歌う。35年ぐらい前にボンボレット谷でもカラーシャがクリスチャンに改宗する動きがあり、カラーシャ語で讃美歌を歌っているカセットテープを聴いたことがあったのを思い出した。

 

 センターの広い宿泊部屋で佳世さんと二人で泊まり、翌朝はMaesalongの朝市に連れて行ってもらった。こんにゃく、豆腐、豆乳、もやし、餃子、乾燥納豆など、日本人に違和感のない食材食物があって、ここでは日本とのつながりを感じる。

 最後に93隊国民党の記念館に。この建物は同じ国民党の子孫の台湾からの援助で新しく建てられたものだ。中国共産党に押しやられてこの地にやって来て戦い、タイが共産党化することから守ったという意味合いもあるという。地図を見ると、前に訪れたことのあるミャンマーのシャン族の地域、はたまたラオスのルアンナムターなどとチェンライは何と近いことか。1987年に行きたかった中国南方のシーサンパンナもすぐそこで、4国が混じり合っている。地元の人々が国境が分からなかったのも理解できる。

 この大変有意義な内容の濃いスケジュールを立てて準備して下さった豊田さんとピジューさんには感謝しきれない気持ちでいる。どうもありがとうございました。

 

 なお豊田さんのブログを紹介しておきます。彼はユニークなルートの旅を数々されてます。

https://toyotaid.hatenablog.com/archive/2019