平出和也さんと中島健朗さん /Alpine climber, Hiraide Kazuya and Nakajima Kenro

 7月28日、ひなこさんのガイドから彼女にメッセージが入った。「残念です。平出さんと中島さんは亡くなりました」というものだった。ブロードピーク・ベースキャンプで平出さん&中島さん隊サポートのコックをしている友人からの電話で、生の情報だ。

 

 その少し前に私も日本の友人から、平出さんと中島さんが滑落して安否不明というニュースをもらっていたが、現場のベースキャンプからの「亡くなった」という情報は現実的なものであり、ショックで言葉が出なかった。

 

 一昨年にカールンコー北西壁初登頂の後にルンブール谷に初めてお見えになるまで、登山のことは全くと言っていいほど疎い私は、平出さんと中島さんのことは存じ上げなかった。登山の世界では最高の名誉となるピオレドーレ賞を平出さんは3度も、中島さんは2度も受賞されていて、世界的に有名な登山家で山岳写真家であるという事実は後になって知ったことで、初めてお会いした際はちんぷんかんぷんな会話をしたと思うが、平出さんはニコニコ、中島さんはけっこうゲラゲラ笑ってらしたことを思い出す。

 

 昨年のティリチミール北壁登頂成功の後にも、映像ディレクターの和田もえさんと共にルンブールに寄って下さって、たくさんのアルファ米やらおにぎり、海苔、ラーメン等の日本の食料を置いていって下さった。賞味期限期限がまだまだ長いので、緊急用にアルミの水瓶(ネズミ防止のため)に未だ保管してある。

 家の一階の大部屋で活動している図書室にも顔を出され、登山の動画を見せながら、子供たちと交流をされた。男の子に「登山で何が一番大変ですか?」と尋ねられて、「狭いテントで二人で寝てるとき、ケンローがおならするんだよ。それが臭くて」とみんなを笑わせる。「今回は鼻が詰まってて、イビキもすごかったしね」と中島さん自らかぶせる。全く二人の息の合ったところは漫才コンビどころじゃない。

 

 お二人は私が手がけているハンディクラフトにも多大なる興味を持っていただき、お土産として買って下さった。自分で織ったカラーシャ伝統模様の紐を布地に縫い込み、その脇に刺繍をあしらったポーチは、私個人用にNot for Sale として置いてあったのを、平出さんから「どうしても欲しいから売ってくれ」と粘られたが、私とてそう簡単に作れるものではないので勘弁してくれと断ったが、平出さんはなかなか品物の仕事やセンスに対しては、なかなか良い目を持ってらっしゃると見た。

 

 ワインを飲みながら、楽しく話をしたのがちょうど1年前。もうあの夜は2度と来ないなんて信じられない。あの時お二人は近々別の世界に旅立ってしまうというような雰囲気では全くなかった。しっかり地球の全ての高峰に立ち向かうオーラのある、強くて尊敬できる人物だった。こちらに来られる前にも後にも、ご多忙の中、丁寧にメールで連絡をくださる律儀さも持ち合わされていた。

 

 7月28日の朝に滑落のニュースを聞いてから、家族でも友人でもない、2度お会いしただけの私がこんなにショックを受けるとは私自身驚いている。それから一週間は、腹痛が起こったこともあり気力がなくなり半病人状態だった。滑落した際、お二人は何を思ったのだろうか。ヘリコプターの音が聞こえたのだろうか。

 27日午前11時半に滑落。多分怪我されてる上に、酸素が三分の一、氷点下マイナス数十度で風もビュービュー吹くの雪の上では、一日経った28日の時点でベースキャンプの関係者が「亡くなった」と判断したのは残念だけど当然だっただろう。 

 

 やっと今になって、K2の西壁の天に近い場所でお二人が眠ってらっしゃることは、ある意味涙ばっかりではなかったかもと思えるようになってきた。きっと、お二人の魂は自由に天国に近いK2の峰を飛び回っていることでしょう。時々日本のご家族に会いに行かれたりして。

 

 

お二人の在りし日の功績を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします。