8月22日の朝、夏の放牧地からチーズを背負って下りて来た牧夫と村の男たちが聖地サジゴールで落ち合って、チーズを捧げる儀礼を行った後に、各家庭ではたくさんのチーズに舌鼓を打つ。その後、グロム村の踊り場で歌と踊りの祭典が繰り広げられた。
毎年のことだが、5月の春祭りと同様、パキスタン人、外国人、多くのツーリストがやって来た。うちの村に1軒だけあるサイフラーさんのゲストハウスも普段はガラガラに空いているが、春祭りと夏祭りだけは満室になる。
祭りの前日、ようやくブログの更新をする気になって、気持ちと脳みそ機能を集中してパソコンを打っていたとき、突然、知らないカラーシャ娘がやって来て「外国人がバーバに会いたいって言ってるよ」と言う。せっかく作業していた私は機嫌が途端に悪くなり、「何?私は今忙しいんだから」と拒否するが、外に顔を出した際に、階段の下にいた5人ほどの西洋人が「ハロー」と言ってるので、仕方なく彼らのところに行く羽目になった。
一応「ハロー」と挨拶して、「どちらの国から?」と訊く。下流のエンジニア・カーンのゲストハウスに泊まっているオーストリア人らしいが、開口一番、「ここに何年住んでるの?」と訊かれてムッと来る。「すごーく長い間住んでます。ツーリストみんな、同じことを訊くんですよね」と渋い顔をすると、相手側も自分達が邪魔をした、招かざる客だと理解したようで、早々引き上げてくれた。ガイドをしていたカラーシャ娘はチトラールの高級ホテルのマネージャーをしている親戚の娘で、小さい頃からチトラールに住んで学校に通っているので、私はよく知らなかった。その日はもう一組、エンジニアのゲストハウスの客が私に会いたいとやって来た。
向こうがカラーシャ谷に住んでいるへんな日本人に会いたくなるのはわかるが、私はツーリスト・アトラクションではない。私には私の生活があり、いちいちツーリストに付き合っていられない。サイフラー・ゲストハウスの客は事前に、今晩の食事を客と一緒にどうかとか連絡があるし、昼間でも村の中の近い場所にあるので、私も気分転換でゲストハウスにちょっと寄っておしゃべりをしたりすることはある。しかし突然一方的に押しかけるのはマナー違反ではないだろうか。きっとガイドが「あそこに日本人バーバの家があるから、ちょっと寄ってみようか?」と軽い気持ちで連れて来てるのだろうが、こちらの身にもなってほしい。
祭りの当日は、昨年を上まる数のツーリストが来ていた。私もこのところの運動不足解消と祭りに敬意を表して一人踊りと3人踊りを踊った。若い頃のような祭りのワクワク感などは全く湧いてこないが、やっぱり祭りはあった方が良いとは思う。
祭り用に服を新調しなかった代わりに、10数年前に静江さんが置いていったパレスチナ/アラブのスカーフに”Free Palestine”とマジックで書いたビニール布を縫い付けたのを腰に巻いて、4万人を越す殺戮を続けているイスラエルへの抗議をアピールすることにした。しかし人が多すぎたのと、アピール文字が小さかったためか、私の後ろ姿を見る人はほとんどなく、サイフラー・ゲストハウスに10日ほど滞在して民俗学の調査をしていたブルガリアのソフィア大学の研究員カップルだけが気づいてくれた。