2024年
12月
15日
日
クタルムーの日/Kut'ramu
12月12日、クタルムーの日。たいていのカラーシャの行事は午後の遅い時間から始まる。各家ではチーズを混ぜたクルミパンが焼かれる。これは翌日に嫁に行った近い一族の女性たちに配られる。
クルミパン焼きが終わった夜、男家族が小麦粉を硬く練ってシャラービラヤックを作る。形を作るのも以外と難しいが、これを焼くのがさらに難しい。野生山羊、雄山羊、雌山羊、仔山羊、雄ヒツジ、牛、番犬などを作り焼き終わると、ジェシタック女神の聖域にある棚に上流に向けて並べられる。
神殿ではサーラスの枝でジェシタック女神が浄められた後、少年たちが壁や柱に新しく山羊やアイベックスの絵を描く。
神殿ではサーラスの枝でジェシタック女神が浄められた後、少年たちが壁や柱に新しく山羊やアイベックスの絵を描く。
2024年
12月
10日
火
12月7日、カラーシャの暮らしの中で、宗教的な要素を含む重要な行事が2週間にわたって繰り広げられるチョウモス祭が始まった。5月半ばに行われる春祭りジョシの後に畑のそばにある夏の家に移って暮らしていた世帯も、この日村の家に戻るので、村は一挙に賑やかになる。
2024年
11月
30日
土
11月23日にヤシール、アクバル・ブトー、高学年の生徒たちで、階下のキラン図書室を掃除し、翌日24日から図書室活動を再開させた。子供たちが学校から家に帰ってくるのが、低学年で午後1時半、高学年で2時半。昼食を取る時間を考えて、午後3時からのオープンにした。
2024年
11月
18日
月
まだまだ先のことだと思っていたチョウモスが、気がつくとあと19日でスタートする。
2024年
11月
06日
水
パキスタン都市部の大気汚染はひどく、ラホールでは2日前、全小学校が1週間休校になった。ラホールの次にはペシャワールがひどく、その次がイスラマバード、そしてカラチ。10月後半に私自身がイスラマバード 、ペシャワール、マルダンと出かけて体感したことが、データとなって明確に表れたということだ。
ヒンドゥークーシュ山脈の標高2000メートル近いルンブール谷に戻ってきて、自然がもたらしてくれる新鮮な空気や、とうもろこし、クルミ、松の実、豆などの恵みを今さらながらジワジワしみじみ噛みしめている。ここに住んでてよかったなあ。
2024年
10月
28日
月
先週木曜日の早朝にボロ乗合四輪駆動でルンブールを出て、その日の夕方6時半発イスラマバード 行きのコースターに乗り、翌朝6時にイスラマバード に着く。先日のブログに書いたように、その日、日本大使館に草の根援助プロジェクトの件と在外衆議院選挙の投票を済ます。土曜日はまだ風邪が治ってない感じだったので、部屋でゴロゴロ。
2024年
10月
21日
月
治らぬ風邪を抱えてイスラマバードのG9に18日(金)の早朝6時に到着。ちょうどたまたま高齢のお客の付き添いで、数時間前に空港でその客を見送ったばかりのヤシールがG9の安宿にいたので、彼と朝食を取り、私はいったんファジア夫婦の家へ。昨夜はバスの中で眠れてないが、お昼ごろに前年3月中止にしたプロジェクトに関しての署名、そして在外投票のために日本大使館に行かねばならないので、ちょっと横になっただけで眠れない
2024年
10月
17日
木
10月半ばにファジアに会いにイスラマバードに行く計画をしていた。お土産にうちのクルミを持って行くのに、収穫は10月2日にしたが、しばらく屋根上で乾燥させねばならないので、初めは10月9日(ジョン・レノンの誕生日だ!)辺りに行こうかと思ったが、ちょっと乾燥に時間が足らず、では12日あたりにしようと思い、ファジアに連絡したら、彼女は12日から3日間留守をするというので、では15日ぐらいに行こうと思った。
2024年
10月
08日
火
チトラールの町はペシャワール周辺の町と変わらなくなったと述べたが、数々の花が咲き乱れる庭が素晴らしいホテル、マウンテン・インから子供病院に登っていく道沿いに高級感のある百貨店ができている。ベビー用品、化粧品、子供服、婦人服、イラン製のクッキーなど他には見られない商品が置いてある。
2024年
10月
06日
日
サジャットの母さんに同行
およそ1ヶ月ぶりにチトラールに行った。ちょっとした買い物があったのと、サジャットの母さんの付き添いを兼ねてのことだ。しょっちゅうチトラールに出て慣れているカラーシャ女性ならともかく、普通は町に出る際は男家族同伴で行く。しかし彼女の夫は今は収穫期で作物を収穫したり、それらを背負って運んだりで非常に忙しい。それに彼は基本牧夫なので、町のことはとんとわからず、高い物を買ったりするので、町ではあまり役に立たない。私の方がチトラールのバザールには詳しい。
2024年
9月
29日
日
9月はとうもろこし、豆、クルミ、ぶどう、りんご、などの収穫で忙しい月。大昔、ボンボレット谷のバーヤ(兄弟)たちの家で暮らしていた頃は、東京の生活が長かった私は、畑作業の新しい経験がおもしろくて、けっこうガチでバーヤたちの嫁さんと一緒に畑に入って一日中手伝ったりしていた。ルンブール谷に移ってからも、野菜不足の生活は健康に悪いと、日本から持ってきた種で野菜作りに挑戦したりしていた。
2024年
9月
21日
土
私の人生の半分を過ごしてきたこの村への最後の奉仕として取り組んだ日本政府の草の根援助プロジェクトが、海外からの援助に対するパキスタン政府(経済省)の意味不明の規制などの問題で、最終段階で中止することになったのが、昨年の3月後半。それ以降、「図書室活動以外のNGO活動はリタイアする。これから先は自分自身の生活を中心にしよう」と決心した。もう活動レポートやパキスタン州政府への登録や更新などの事務作業もなくなり、肩の荷が降り、心からの解放感を味わいつつ、1年半が経った。
2024年
8月
29日
木
8月22日の朝、夏の放牧地からチーズを背負って下りて来た牧夫と村の男たちが聖地サジゴールで落ち合って、チーズを捧げる儀礼を行った後に、各家庭ではたくさんのチーズに舌鼓を打つ。その後、グロム村の踊り場で歌と踊りの祭典が繰り広げられた。
2024年
8月
21日
水
7月19日にルンブール谷に帰ってきたので、1ヶ月ちょっと経ったことになる。7月いっぱいは、午後に階下のキラン図書室を開けて3時間ほどそこで過ごしていたが、最近リタイアを自分の中で宣言したので、8月に入ると妙に自由時間に溢れ、自分のことをやろうにも、やらなければやらずに済むわけで、ほとんど無気力で過ごした感がある。予期せぬ平出さんと中島さんのK2での事故がさらに気分を重くしたこともある。
2024年
8月
05日
月
7月28日、ひなこさんのガイドから彼女にメッセージが入った。「残念です。平出さんと中島さんは亡くなりました」というものだった。ブロードピーク・ベースキャンプで平出さん&中島さん隊サポートのコックをしている友人からの電話で、生の情報だ。
2024年
7月
25日
木
中国男性と結婚
チトラールの総合バスターミナルでルンブール谷グロム村のシャイナラと中国人Junさんにばったり会った。彼らはもうすぐ結婚するという。
ラホールで貿易商として働いていたJunさんとシェイナラはFacebookを通じてやり取りをしていたらしいが、4年前に彼がルンブールに来た際に、親たちがあまり賛成しない中で婚約したという話は私も聞いたことがある。
2024年
7月
22日
月
タイ北部の山岳地帯で暮らす少数民族との交流の後、国内線のフライトでバンコクのドンムアン空港に戻り、預けていたスーツケースを引き取り、佳世さんと別れを告げて、バタバタとスワンナプーム空港に移動して、午後7時発のタイ航空イスラマバード 行きの飛行機に乗り込む。
2024年
7月
17日
水
タイ滞在後半は、ローイエットからバンコクに飛び、さらにバンコク~チェンライに飛んで、豊田さんのお宅でまずは一泊。
2024年
7月
16日
火
1週間のタイ滞在の前半4日間は、東北地方イサーンのローイエットで仕事をしている佳世さん宅に滞在した。
2024年
7月
08日
月
およそ3ヶ月間の日本滞在はあっという間に終わってしまった。
下記の課題などが未解決のままだけど、今回はいつもの帰国以上に学校時代の仲間をはじめとしてたくさんの旧友たちに会えて乾杯をできたこと、別府温泉に2回、さらに壱岐の島にも行けたし、あちこちでご馳走になったりで、充実感いっぱいの3ヶ月だった。
2024年
5月
16日
木
その昔、正社員のカメラマンとして働いていた学期業界誌出版社の頃の同僚(正確には先輩)、彼女は現在アメリカの西海岸で暮らしているが、今一時帰国中。パキスタンで暮らす私と会う機会は限られているので、せっかくなので日本で会おうということになった。
2024年
4月
21日
日
先日3泊4日で別府に行って参りました。ホントは2泊だったのを、宿も安かったし(3泊で1万円以下。風呂トイレ付き、アメニティーも全部ある)、もったいなくてもう1泊した。これで、まずは帰国して最優先事項の一つ、温泉と新鮮な魚、そして地酒を堪能させてもらった。
2024年
4月
16日
火
佐賀県人は「佐賀には何もなか」と言いますが、そんなことはありません。近所の神野公園に散歩に行ったら、さっそく、アオサギくん、カチガラス(カササギ)のカップル、鶯ちゃん、亀さんに出会いましたよ。
2024年
4月
07日
日
バンコクで航空会社のカウンターの男性スタッフの一方的なミスで、危うくバンコクに3~4日滞在する羽目になろうするトラブルがありましたが、その後ミスが判明して無事に4月5日福岡空港に到着しました。およそ3ヶ月間日本です。その間何かありましたら、akikobahba30@gmail.com までご連絡ください。
2024年
3月
31日
日
母の13回忌に向けて、4月3日に一時帰国します。
3月の前半はドカ雪で、電気が切れ、水道の水も止まり、道路も封鎖、当然携帯電話も切れ、そこからインターネットを使っていたので、日常生活が急に閉ざされた世界の中という風になった。
2024年
3月
08日
金
以下は3月4日に書いたブログだけど、麓の町アユーンの携帯電話基地塔が雪で倒れて、携帯電話の通信が3月1日から止まっていた。3月8日の今日の午後、ようやく携帯電話の通信ができるようにな理、インターネットもどうにか通じるようになった。しかし、いつ切れるかわからない。電気だってしょっ中停電になるし。急いでブログをアップをしなくちゃ。
2024年
2月
27日
火
甥と孫の間に生まれた2人目の赤ん坊、アンジュマンが生後14日目で出産場から家に移ってきた。その翌日、村の老人がチトラールの病院で亡くなった。この1、2年病床についていたとはいえ、危篤という状態ではないと思っていたし、さほど高齢でもなかったので、意外な知らせだった。
2024年
2月
17日
土
2月8日の選挙は、予想に反して無所属の立候補者たちが100議席弱を取り(これは現在刑務所に入っているイムラン・カーンの政党が解散させられ、支持の候補者が無所属として立候補したからだが)、与党のパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派(PML -N)が2番目、
パキスタン人民党(PPP)が3番目という結果だった。
2024年
2月
03日
土
パキスタンの国会下院議員と州議員の選挙が2月8日((木)に行われる。パキスタンの政治については日本の政治よりも関心がなくて全くわからない。というか、日本の政治以上に「金、賄賂」の世界だから、ほとんど諦めの境地にあるからだ。
2024年
1月
31日
水
ルンブール谷、コットデッシのムティミレ一族のカジ(長老)が1月28日に亡くなった。小柄な体ながらも若い頃はカラチなどの都市部に出稼ぎに出たりしていた。5男4女の父親だった。
2024年
1月
27日
土
神への祈願 / General sacrifice Praying God
冬の間は、一家の男性たちが牡山羊を捧げて全般的な健康や安全を願う「神への祈願」や、個人の病気や怪我の回復を願うイストンガス(男性のために牡山羊を捧げる)、バラバライ(女性のために牝山羊を捧げる)などがけっこう頻繁に行われる。
ジャマット一家とムクティ一家は毎年1月に神への祈願を行う。ジャマット一家の祈願では白い山羊が犠牲にされた。
2024年
1月
15日
月
図書室は私がイスラマバード から戻ってからは盛況で、小さなゼロ年生からカレッジの学生まで毎日80数人やってくる。低学年、高学年、中学生、高校生とグループになって学校の宿題をしたり、今やカレッジの講師になったミザイールやシャキールに予習・復習をしてもらったりしている。図書室の本の読書をしている生徒は少ないようだ。
2024年
1月
06日
土
Back to Chitral
OSバージョンアップがめでたく完了して、1月2日の夜行バスに乗ることができた。高速道路に入って少ししたら、霧なのかモヤなのかスモッグなのかわからないが漂い出し、それがだんだん濃くなり、目の前の車も見えなくなった。私のバスもノロノロ運転になるが、いつぶつかるかも知れないとヒヤヒヤさせられた。
2024年
1月
03日
水
昨年はいろいろとお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2023年
12月
31日
日
今年もお世話になりました。
12月25日から、カナダに住んでるファジアの息子さんの結婚行事に参加するためにイスラマバードに来ております。26日、28日、30日と3日にわたって催された結婚行事も新郎新婦のホットで幸せムードの中、無事に終了しました。私は生まれて初めてサリーを着て少し緊張気味でしたが。
2023年
12月
22日
金
12月15日に超聖なる期間に入り7日間、12月21日に俗、普段に戻って、チョウモスが終了した。
2023年
12月
14日
木
12月7日、サラザーリの行事が始まり、あっという間に14日の家の大掃除の日になった。明日はルンブール谷の全部の女性が聖なる儀礼を受け、16日は男性の聖なる儀礼、子供の通過儀礼といよいよチョウモスは佳境に入る。
2023年
12月
02日
土
11月から12月の初めまでは個人行事があちこちで開かれる。新築祝いもその一つだ。11月27日、バテット村に嫁いだジャマットの姪の婿さんが親元から独立して家を建てたので、新築祝いが開かれた。親戚たちは寝具セットやカップや皿、笊などの台所用品などをお祝いとして持っていく。駆けつけた親戚たちには捌いたばかりの山羊の肉入りご飯やチーズ&平たいパンのご馳走が出される。
2023年
11月
22日
水
風車
ジュースの空きパックと草茎で作った風車。こういうリサイクル物は大歓迎だが、遊び飽きたり、壊れたりしたら、その辺にポイ捨てだから、せっかくのエコ精神も長続きはしないのが嘆かわしい。
2023年
11月
11日
土
イスラマバード から戻ったら、村はすっかり秋模様。うちの周りの桑やらアンズ、柿、梨などの木の葉は紅葉真っ最中。クルミの葉はすでに葉を落としていた。
2023年
11月
09日
木
7月の学校の夏休みに開いて、再び学校が始まった8月から10月までの3ヶ月間は収穫の時期も重なり、子供たちも家の手伝いをしたり、クルミ集めをしたりで暇がないこともあって図書室は閉めていたが、読書の秋も深まったので昨年に続き11月から開けることにした。
2023年
11月
07日
火
昨日の夕暮れ、ルンブール谷の自宅に戻ってきた。一昨日の夜にイスラマバード G9発の夜行バスに乗り、チトラールには翌日夜明け前の5時半に着くのだが、まだ真っ暗な中でマルヴィ・バス発着所に降りても、他の乗客はさっさと迎えの車で去っていくし、茶屋も開いてないので、大きなキャリーケースを持った私はどこに行きようがない。
2023年
11月
04日
土
イスラマバードに来てから、居候先の友人ファジアが11月3日(金)から3日間開かれる「Literature Festival」にアート部門から「Lost Lullaby of Mother Earth」と題して作品を展示するというのを知って(彼女自身も少し前に突然依頼されたらしい)、本来の予定は10月最終日にチトラールに戻るのを少し延期することにした。彼女の展示の手伝いをするためと、書籍を展示販売する出版社のブースも出るので、キラン図書室用の本を購入する良い機会だと思ったからだ。
2023年
10月
31日
火
30数年前、中国から陸路でロンドンに向かう途中、イラン・イラク戦争がまだ終わっってなかったこともあり、カラーシャ族の谷で一時待機することにしたが、その際、ビザの延長のために何度もパキスタンの内務省に行かざるを得なかった。バックパッカーの身なので、首都イスラマバード のホテルに泊まるなんぞ考えもせず、隣接する庶民の街ラワルピンディのラジャ・バザールの安宿に泊まっていた。
2023年
10月
21日
土
(このページは10月4日のものです)
銀行、インターネットのスクラッチカード他の買物 をするためにチトラールの町に出かけた。
久しぶりに魚を食べたくなったので、町で1カ所だけ露店で売っている魚屋に行く。並べられている魚はトルベラ湖産ということだが、冷蔵ケースに入れてあるわけでもないので、夏の間は痛みが早いから買わずにいたけど、そろそろ涼しくなったので大丈夫だろう。
2023年
10月
08日
日
トウモロコシを収穫して天日で乾燥させた後には、実をほぐす作業が残っている。以前は棒で叩いて実を落としていたが、近年、麓の町アユーンから脱穀機がやってきて、時間いくらでやるようになった。脱穀機が行けない支谷の畑では今も棒で叩いて実を落としている。
2023年
9月
27日
水
3日前のことになるが、上流の畑地に枝を広げるクルミの木々の収穫に、私も散歩がてら少しばかりクルミ拾いを手伝おうかと行ってみた。
2023年
9月
22日
金
朝の日差しがこのところ霞んだようになっている。考えたらお彼岸真っ只中、今日あたり秋分の日ではないかと調べたら、今年は明日9月23日となっている。つまりこれからは日々、陽が短くなっていき、正真正銘、秋となるわけだ。まだまだ日中は上流の畑まで往復するとけっこう暑くて汗が出るが、室温20度ちょい、これからはドンドン気温も下がっていくだろう。もう夏はおさらばだなと認めざるを得ない。ちょっと寂しい。
2023年
9月
09日
土
Had to move from my Rumbur residence to Mountain, Chitral due to a conflict between Pakistan military and TTP(Pakistani Taliban ) in the Kalasha Afghan border on 6 Sep. Next day I moved to my Kalasha family's rental residence near Chitral town. They say it going to be under control by Pakistan military.
1週間ほど前にアフガニスタンに潜んでいたTTP(パキスタニ・タリバン)がアフガニスタンのタリバン政府に追われて、KP州の国境沿いに現れたということで、警察からカラーシャ谷にいる外国人は谷から出るよう言われたが、私はローカルなので自分の家から村の中のよその家に2、3日寝るときだけ移ることで了解してもらっていた。
2023年
9月
06日
水
日本においてコロナ規制解禁後に、円安の理由も伴って海外からの旅行者が急激に増えて、地元住民の生活環境に悪影響を及ぼしているところもあるという話を聞いているが、カラーシャ谷でもそれは起こっている。
2023年
8月
19日
土
第3弾のお客様、豊田武雄さんは現在タイの北部で畑作業をされながら暮らしておられる。ご家族は日本、ご本人は5匹のワンちゃんとの暮らし。タイに移住される前はJICAの援助開発専門家として、アジア、アフリカ、パレスチナなどで活躍され、経験豊かで、私のボランティア活動においての苦労話もよくよく理解されて耳を傾けてもらった。豊田さんからも例えばエコ・ツーリズムを開発・実践する可能性についてもアドバイスをいただいた。
2023年
8月
17日
木
この夏、正確には7月終わりから8月中旬にかけて、3組のお客様が私の暮らすルンブール谷バラングル村を訪ねて下さった。1組目の平出さん、中島さん、和田さんの報告は前回にアップしてある。
8月6日、カラーシャ谷4度目の浦島ひなこさんが、栃木県の登山仲間5人をお連れになって、パキスタン北部の登山の後にお寄りになった。
2023年
8月
05日
土
日本が世界に誇るトップクライマー、平出和也さんと中島健郎さんが昨年に引き続き、7月29日、うちの村、ルンブール谷バラングル村にいらっしゃった。
2023年
7月
20日
木
カラーシャの谷に暮らすようになって最も興味を持ったことの一つが、自給自足を基盤とした生活(当時)の中の手仕事、特にカラーシャ女性の独特の衣装作りであった。
2023年
7月
03日
月
あっという間に今年が半分過ぎてしまった。
この数年前からずっと同じことをブツクサ言っているけど、ほんと時の経つのが早過ぎる。
でも時の流れに追いついていけないのは私だけで、
樹木、草花、自然の中の生き物たちはきちんと逞しく生命を育んでいる。
2023年
6月
19日
月
6月10日うちのキラン図書室で、AKRSPのアレンジによる心の病についての講義がチトラール市民病院の女医さんによって行われ、カラーシャの女性たちが10数人集まった。
2023年
6月
13日
火
多くのカラーシャ家族は、家を二ヶ所に持っている。女神ジェシタクが君臨するメインの家は村にあるが、村から離れた畑のそばにも家を持っている。私のお隣さんのエリカの家族は、エリカと弟の二人がポリスの職についていて経済的にも余裕があるし、お父さんは民間療法の接骨師で、自分でチトラール・シターを作るほど手が起用なので、村にある家も製材は別としてお父さんが建てた。
2023年
6月
10日
土
村の夢占いおばさんの「各家の屋根を浄めなさい」との通達により、各家では夕飯時に小麦粉の平たいパンを焼き、そのパンをちぎって、チーズ、バター、あるいはミルクと一緒に、家の中のジェシタック女神聖域に捧げた。屋根上では、煙突近くにヒイラギの枝葉を置いて火を付け、両手を腕まで洗った少年がその火にミルクを捧げ、そばで男たちが祈願の言葉を唱えた。
2023年
6月
07日
水
ジョシの春祭りが終わって7日後に、ムラッチワキ・ジョシが踊り場で、小規模ながらも大ジョシと同じ形態で開かれた。私も参加する予定だったが、午後から強風が吹き出してきて雨になりそうだったので、ずぶ濡れになりたくなくて行かなかった。
2023年
6月
01日
木
ジョシの祭りが終わって、腹痛チクチクも治ったので、階下のキラン図書室を再スタートした。昨年の今頃は祭り後に村の半分ぐらいの家庭が畑の家の方に移ってしまうので、毎日の学校の授業の後に図書室に来る生徒は少ないだろうからと、週に一度だけ、学校の半ドンの金曜日に「お絵かき教室」を開いていた。
2023年
5月
19日
金
5月9日、パキスタンの前首相イムラン・カーンが汚職、治安妨害など10数件の罪で拘束されたことで、支持者らの暴動がパキスタン各地で起こった。チトラール地方ではたいしたことは起こらなかったが、全国的にインターネットのアクセスができなくなったのが痛かった。3、4日経ってインターネットは一時的には復活したが、You Tubeはその後も接続できない状態だった。
2023年
5月
09日
火
春祭りは娘たちの新調した衣装の披露の場でもある。もう冬の間から女性たちはせっせと頭飾りや服や帯を縫ったり織ったりしていたが、5月14日と15日の春祭りを目の前にして、衣装作りに拍車がかかる。
2023年
5月
06日
土
長い冬のが開けた後、待ちに待った春祭りジョシが5月14日と15日に開かれる。しかしチトラール地方と都市部を結ぶラワリ・トンネルや高速道路のスワット・モーターウェイが出来たのもあって、近年の爆発的な多さのツーリストのことを思うと、喜びよりもウンザリ感の方が勝る。
2023年
4月
29日
土
3月半ばにルンブールに帰ってきて、今は中止になった草の根プロジェクトの件で忙しいこともあり、そのまま3月いっぱいはキラン図書室を休館して、4月にキラン図書室をスタートさせた。学校も3月から始まっているので、学校の後に午後にまた勉強しに図書室に来る生徒は少ないだろうと思ってはいたが、少ない人数でも、特に学力の足りない生徒たちに、せめて読み書きの基本中の基本をヤシールに教えてもらうだけでもいいと、ここは私の判断で開けることにしたのがよかった。
2023年
4月
16日
日
4月13日、ボンボレットの親戚の葬式にバラングル村の人たちと行く。亡くなったのはジャマットの実兄の長男の嫁の母親で、私のボンボレットの兄弟の叔母さんの娘にもあたる。
2023年
4月
02日
日
今日はエプリール・フール。36年前の今日、日本を出て香港に飛び、中国から陸路でのシルクロードの旅をスタートさせた。当時から「人生はちょっとばかりジョークだ」と感じていたので、わざわざ4月バカの日を出発の日に決めたのだ。「これからジョークの旅に出掛けるよ」という意味合いを込めて。
2023年
3月
22日
水
帰宅して1週間 / One week past since coming back home
4ヶ月以上の留守の後、バラングル村に1週間前に戻ってきたけど、草の根援助を履行するための作業や、活動頼り、会計報告の作成で、私自身は部屋でパソコンに向かっていることが多いのです。
2023年
3月
16日
木
2021年9月からキラン図書室をAdolescent Center (青少年学級)としても開放しているが、その活動を担っているAKRSPの担当者が、私がバラングル村に着いた翌日にソーラー技術者を連れてやってきた。
2023年
3月
13日
月
イスラマバードの友人ファジア、彼女は私をソウルフレンド(魂の友だち)と言ってくれるが、私が一方的におんぶに抱っこで世話になっているのが事実だ。そのアーティストで平和活動家の彼女がここ10年間の仕事の集大成といえる個展が、国立アートギャラリーで12日から5日間開催するのに、うまい具合にタイミングよくぶち当たったのだ。
2023年
3月
10日
金
署名式が3月にあるだろうと、昨年の9月に日本からバンコク経由でパキスタンに戻る航空券を予約して支払いもしていた。それなのに今年1月になって、タイ航空と旅行会社trip.comから、福岡~バンコクの便が3時間ほど遅れるとのメールが入った。
2023年
3月
10日
金
今回の日本滞在はあっという間だった。11月の10日間の東京滞在では役所に行き、数人の友人たちにバタバタ駆け足で会うだけで過ぎていったし、11月末に佐賀に着いたら、父の13回忌に向けてまず大掃除、和尚さんが読経にいらして弟たちと私だけの小規模な法事だったが、これが終わったら、ひとまずホッとして、福岡の呑み友達と乾杯。
2023年
2月
24日
金
2月22日、福岡虹の会の主催で、虹の会の方々や私の友人たちに、福岡市で老舗のビル、天神ビルの会議室に集まっていただき、「カラーシャの暮らしと女性」のテーマで、写真74枚を映写しながら話をしました。
翌日は、唐人町の公民館で「朗読の会」の方々に、ルンブール谷で創作開発したクラフト小物をお見せし、販売しました。その間、友人の博多のカルロス氏の笛とハーモニカで癒してもらいました。
2023年
2月
15日
水
福岡虹の会主催による2月卓話会の案内です。
テーマ:パキスタン、カラーシャ族の暮らしと女性
卓話者:わだ晶子
(ルンブール福祉文化開発組合代表)
日時:2月22日(水)18:30~ 20 : 00
会場:福岡天神ビル11階8号会議室
入場は無料ですが、事前に事務局または私までメールでお知らせください。
また少しですが、ルンブール谷で作った小物、写真集も販売します。
なお、今回はズームでの参加はありません。
2023年
2月
11日
土
パキスタンに戻る前にやるべき種々の用事で頭が爆発しそうになっている中で、前から計画していた2度目の別府温泉に行ってきた。いやあ、別府は本当に面白い。おかげで随分ストレスが取れましたぞ。
2023年
2月
05日
日
コロナで開けた新年。そのコロナが抜けたら、突然津波がごとく次から次へと書類関係の用事が襲ってきている。書類や数字が苦手なこちとらはその中で溺れそうだ。
2023年
1月
24日
火
コロナは治っているとはいえ、なんだか今ひとつパッとしない。コロナ感染した数日間は喉が異常に腫れて痛く、しかし全く鼻水が出なかったのが、今はしょっちゅう鼻をかんでいて風邪引き状態。
2022年
12月
29日
木
日本に帰れなかった3年半分の想い、つまり、温泉に浸かる、新鮮な魚を食らう、亡くなった両親と自分の荷物を断捨離する、この3つのうちの2つを先週の丸々1週間別府に滞在して実現させてきた。
2022年
12月
05日
月
佐賀に戻って2週間。速い、速い。その間、アパートの自分が使う部屋や共同スペースは掃除したものの、なかなか断捨離のスタートは始まらず、一日置きに友人たちと会い、呑み、という今のところの日々だ。12月に入って天気が悪く寒すぎるというのも断捨離作業が捗らない理由だろう。
2022年
11月
27日
日
東京で区役所などの諸々の手続き、そして同級生、20代からの旧友、カラーシャ谷やパキスタンで繋がった友だち、世話になった人たちに会ってから、11月22日夜に佐賀に帰省しました。
2022年
11月
09日
水
11月7日、暗いうちに起きて、シャワール・カミーズ(パキスタンの国民服)に着替え、捨てるのが勿体無い昨日の残り物(マカロニとゴーヤ&カヴィール(caper)などを混ぜた適当料理)を食べ、まだ右前足が完治せずびっこを引いてるタローを外の彼の寝床に出して、私のスーツケースとフィジア他への土産(クルミと果物の入った段ボール)をセキュリティ・ポリスのアスラット・ウマールに運んでもらい、いつものボロ乗合ランドクルーザーに乗ってチトラールへ。
2022年
11月
02日
水
ここでは収穫した後のクルミの木の枝に残った実が自然に落ちた、(あるいはカラスが落とした)、またはパチンコで落とした場合は自分のものにできる暗黙の了解がある。収穫期にクルミの木の周りをうろついていたら確実に数個から結構な数のクルミを獲得でき、それを店でお菓子と物々交換できるので、子供たちは学校から帰ったら図書室どころではなく、クルミ探しに専念する。
2022年
10月
27日
木
コロナ禍で3年以上一時帰国を見合わせていたが、父の13回忌もあるし、役所の手続きもしなければならない。また、弟のアパートに置いたままの整理しきれていない両親の荷物や、ファイルや写真、服などの私自身の荷物も整理・処分もしたいので、11月11日のフライトで帰省することにした。
2022年
10月
21日
金
8月の断続的な大雨や鉄砲水で、その度に発電所の水路の決壊が起きた。男の人たちが水路の修繕をするものの、ちょこちょこっとやってもまた決壊するという有様だった。
2022年
10月
12日
水
山男さんたちが去った夜に雷混じりの雨が降り始め、翌日いっぱい続いて、それまで室温20度だった部屋はすっかり温度が下がり寒くなった。
2022年
10月
12日
水
10月1日、登山家の平出和也さんと中島健郎さんがバラングル村を訪れられた。お二人は、カラコルム山脈のクンジェラブ峠近くに位置するカールンコー(6977m)で未踏の北西壁からの登頂を9月に成功させ、来年登頂を目指すヒンドゥークシュ山脈の最高峰ティリチミール(7708m)の下調べをした後に、こちらに立ち寄られた。
標高2000m近くの山あいに住んでいても、登山に関しては全く無知な私は、登山界のアカデミー賞と言われる山岳賞「ピオレドール」のことすら知らなかったが、これを平出さんは3回、中島さんは2回受賞されている極めて大物の登山家だということを、迂闊にもいろいろおしゃべりしている中、夜も更けた頃に初めて知った。
爽やかな山男さんたち、1泊だけでちょっと物足りなかったが、来年ディリチミール登頂の後の再会を約束して帰国の徒につかれた。
2022年
9月
23日
金
ルンブール谷に戻って部屋でゆっくりブログの続きをやろうと思ってたのに、その前の週に2日間、夕方から朝にかけてついていた電気が、直した水路がまた決壊してつかず。
9月は村のおっさん、兄さんたちが、トウモロコシ、クルミ、リンゴ、松の実、ブドウなどの収穫で大忙しの上に、フランス人グループが15日からバラングル村からチトラールまで5日間の山歩きトレッキングで地元のポーターを21人雇って連れって行ったので、発電所の水路の修理に手が回らないという実情なのだ。
昨夜、サイフラー・ゲストハウスの発電機でパソコンとスマホの充電をさせてもらったので、今日とりあえず先日の会議の報告を簡単にさせてもらいます。
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2022年
9月
16日
金
4th International Hindukush Conference is held right now in Chitral after 27 years interval. It is wonderful to meet those dear academic friends and scholars.
2022年
9月
02日
金
2022年
8月
24日
水
8月に入って快晴の日はほとんどなく、ずーと曇り時々雨という状態が続いている。7月と8月に多い鉄砲水も数回来ている。橋が流されるような規模ではないのが幸いだと思っていたところ、8月20日の夕方、停電したので夜になる前に薄明るいうちにと夕食を取っていると、谷全体から地響きが聞こえてきた。食事を中断して、外に出てみると、村人たちが川沿いの家のベランダや屋根に群れて、川を見ている。やはり鉄砲水だった。