Rumbur Development Welfare & Conservation Society
(Registration DSW/NWFP/1336)
パキスタン、北西辺境州、ヒンドゥークーシュ山脈の
谷あいに住むカラーシャ族のNGOです。
1998年にパキスタンNWFP州政府認可のNGOとして登録、
メンバー全員がルンブール谷の住民で組織されている団体です。
このローカルNGOが力を注いでいる活動は下記の通りです。
カラーシャの子供たちの教育促進。
カラーシャの伝統文化の保護と開発。
健全で衛生的な生活環境への改善を促進。
現金収入のための小規模地盤産業の開発。
公共事業プロジェクトの設立。
周囲に広がる山林や自然環境の保護。
*新しい活動から紹介します。
17) 最後の語り部、カズィ・コシナワスの語りをテープ起こしした中の「チョウモス祭」を冊子にする。(’15年)
16) ’13年夏、畑に土石流を被った15世帯に、各小麦80キロの緊急支援をする。(’13年)
15) 13年夏の土石流被害を受けたバラングル村の神殿周辺の整備をする。('13年)
14) カレッジや通信大学で学ぶ、経済的に恵まれない学生たちに教育費の一部を支援。(’12年〜現在)
13) カラーシャ小学校の教師の支援を行ってきたデンマークのNPOが存続しなくなったので、『AKIKOの家』の活動費より、教育支援の一環として、教師への援助を引き継ぐ。(2011年5月〜現在)*詳しい経過は、2011年6月9日のブログをご覧下さい。
12)2010年夏、ルンブール谷に未曾有の鉄砲水が襲い、橋、粉引き小屋など、川沿いの建物および畑が大きな被害を受けた。川辺に人家は少ないので人的被害がなかったのは幸いだったが、この鉄砲水によって川底が上がり、川の流れも変わったので、狭いV字谷に建つバラングル村や、泥水をかぶる寸前でまぬがれた水力発電所は、次回に鉄砲水が出たら流される危険性が高くなった。そこで日本および海外の友人たちに呼びかけて義援金を集め、バラングル村に2カ所、発電所と水路取水口、その対岸にそれぞれ1カ所ずつ、合計で5カ所の堤防を造った。(2010年9月〜2011年6月)
11) ルンブール谷の高校生は、隣のブンブレット谷の高校に、親戚の家に寄宿しながら通い、月に2、3回、週末に実家に戻るという生活をします。教科書やノート代も高くなる上に、ジープ代などもかかるようになるので、現金収入があまりない親たちはやりくりに大変です。
そこで、家族に定収入がなく(家族に月給取りがいる場合は対象外に)、成績の良い高校生の各学年男女1名ずつ、計4名に、高校に通うための必要経費の一部を、「AKIKOの家」の活動費より援助する。(2009~2010年)
10) 日本政府の草の根援助による「発電所改善プロジェクト」遂行。水量を増やすために水路の幅と高さを増し、タンクと発電所は新しく大きく造り直し、発電機とタービンはドイツのシーメンズを導入。トランスフォーマーも設置し、各家にはメーターを取り付けて、明るく安定した電気が供給された。(2004~2005年)
* この発電プロジェクトの記録映像DVDもあります。わだ晶子までお問い合わせ下さい。
(9) 美穂子寄付金の支援により、ルンブールのカラーシャ小学校で画家ファウジア・ミナラー女史のお絵描き教室を開催する。(2004年)
下記のサイトもご覧下さい。
http://www.funkorchildart.com/SpecialProjects_RumberDrosh.php
(8) ICLC(パキスタン支部)とCPC(創造手すき紙委員会)、国立美術協議会の主催で、ラワルピンディーにて「パキスタン手すき紙展」に、ルンブールの子供たちが描いた生活や祭りの絵を出展。(2003年)
(7) ICLC、アルテクルブの主催で、埼玉県川越市の三番町ギャラリーにて「パキスタン少数民族絵画展」開催。子供たち自身が作った手すきの紙の上に、子供たちが描いた生活や祭の絵を展示。(2003年)
6) 伝統文化・歴史を子供たちに継承させていくために、丸山純&令子夫妻と「美穂子寄付金」の援助により、語り部コシナワス長老に、毎日小学校でカラーシャの伝統・宗教儀礼・歴史などを生徒たちに語ってもらい、それをカセットテープに収録する活動を行う。(2002~2006年)
(5) 物語や絵本を読む機会がほとんどない子供たちのために、日本パキスタン協会を通じて、「美穂子基金」の援助により、カラーシャ小学校の全校(6校)に図書箱(紙芝居も含む)巡回活動を行う。(2002年)
→カラーシャ語で絵本を読む
美穂子基金のボランティア丸山純さん
(4) バンダラ基金の援助で、ルンブール谷のグロム村とバラングル村に一戸ずつ共同便所を建設。カラーシャの家はトイレを持たず、人々はこれまで外で用を足してきたが、人口も増え、衛生上トイレ造りは最優先課題の一つであった。 (2000~2001年)
(注:その後、06年から07年にかけて、イギリス人のNGOとアメリカ人のグループの援助で、バラングル村の大半の家にトイレが作られた。)
3) 「ジャカランタの会」(1998~2004年)と、「美穂子寄付金」(2002年〜現在)の援助で、子供の教育促進のために、ルンブール谷の0学年〜10学年の全生徒に教科書を配布する。この援助の功が奏して1998年は全生徒数が75名だったのが、2004年には150名を越えた。なお、州政府が2004年から小学生に、2006年からは 高校生までのすべての生徒に教科書を配布するようになったので、美穂子寄付金の支援金は優秀な生徒に奨励賞として贈る文房具代に使っている。
2) 国際識字文化センター(ICLC)代表の田島伸二氏の手ほどきとUNDPの支援で、村の青年と子供たちを巻き込んで、手すきの紙作り活動開始。
不要となった枝の皮を灰汁で長時間煮た後、石うすでつきパルプにして、水と混ぜてすいた手すきの紙の上に子供や村人たちが描いた線画はカラーシャ独特のもので、これらは現金収入源の一部となるばかりでなく、文字や記録がなかったカラーシャで画期的な文化開発の役割を果たすことになる。(1998年〜現在)
1) 国連開発計画(UNDP)の援助による、「ルンブール谷再生プロジェクト」(流域改善計画)で、上流に2つの堤防建設、植林、現金収入源の開発(手すき紙作りなど)のマルチプロジェクト活動を行う。 (1998~1999年)
組合員たちはルンブール福祉文化開発組合が発足する前から、カラーシャ族の共同体のために尽力してきました。
1)ルンブール谷の山林伐採権をめぐり、ゼネラル・マネージャーのサイフラー・ジャンは谷側の代表者として、ふもとの町の住民と20年にわたる法廷闘争で勝訴。カラーシャの生活・宗教の基盤である山の権利を守った。(1984~2004年)
2)わだ晶子、ルンブール谷に初めての女性のための共同沐浴場を建てる。またボンボレット谷とルンブール谷の女性の生理・出産時のこもり小屋にストーブや備品を設置する。(1989~1990年)
3)日本政府の草の根援助、アガ・カーン辺境地開発計画(AKRSP)を通じて、ルンブール谷に初めてのミニ水力発電所を建設。カラーシャだけでなくムスリムの家庭にも電気がつく。(1994年)